a Kind of Love


 その場所は、相変わらずだった。
 高校の頃、よく待ち合わせ場所にしていた大型ショッピングセンターの前には、何人かの男女がめいめい壁や柱にもたれたりして、気だるそうにしている。端の方で座りこんでいた派手目の女が、老いた警備員に追い立てられ、嫌そうに立ち上がる。僕もそんな中に紛れて、やっぱり気だるそうなふりをしていた。
 待ち合わせの時間までは、あと15分ある。いや、あいつは大抵1分遅れてくるから、16分か。僕は小さく欠伸をして、首を回した。
 アーケードの向こう側、ビルとビルの隙間から小さく空が見える。もう夜はそこまできているようだった。
 久しぶりに、ケイと会うことになった。
 ケイとは中学・高校と一緒だったが、大学は別々になってしまったので、あいつが今何をしているのか、僕はまったく知らなかった。
 例のユキからきたメールについて電話で尋ねてみたところ、案の定あいつが関わっていたようだった。
『嫌いになったのか?』
 電話の向こうのケイは笑っているのだろう、からかうような嘲るような調子が聞いて取れる。その裏側には「あんなに好きって言っていたのに?」という批判が隠れているように思え、僕は少々バツが悪くなった。
「今彼女いるの」
 早口でそう答えると、ケイはエーッと派手に驚いた。そんなにおかしいか。
『じゃあ彼女いなかったら、川上にはOKだしたのか?』
 川上はユキの苗字だ。
「いや、どうだろ」
『どうだろって、なんだよ?』
「今の川上さんは、僕の好きだった彼女じゃないよ」
 僕は僕の思う正直な所を答えた。しかし、ケイはそれを鼻で笑う。
『自分が変わったんじゃなくて、相手のせいだってか?』
 そう言われると、何だか僕が悪い気がしてくる。自分の事を棚に上げ、平気な顔をしている醜悪な自分の面を突きつけられたように思えた。
「僕が好きだったのは長い黒髪で清楚な彼女だったんだ」
『なんだよ』
 やや鼻白んだ調子でケイは言った。
『それじゃ「川上ユキ」ってパーソナリティが好きなんじゃなくて、そういう「属性」が好きなだけじゃないか。このフェチ野郎』
 今の彼女もそんなヤツなんだろ、とケイはせせら笑った。
「黒髪だけどちょっと短いし、清楚じゃないな。昔運動部だったし、活発で少々下品な所もある」
『へえ』
「僕より握力は強いかもしれない。確か50か60か、そんな感じか。体脂肪率も10%割ってて……」
『どんなゴリラ女だよ』
 中高の女子にたとえて言え、とケイが言うので僕は正直に答えた。
「林アマノ」
 ケイは盛大に吹いて、しばらく電話の向こうからは笑い声しか聞こえなかった。僕は耳からケータイを離し、彼が笑い終わるのを待った。
『顔は? せめて似てないって言ってくれ……』
 何が言いたいんだこいつは。僕はやっぱり正直に答えた。
「そっくりだよ。と言うか、本人だし」
 今度は電話の向こうがしばらく静かになった。凍りついたか? なんと失礼な反応だろう。
『………まあ、お幸せに』
 やっと出た一言がそれか。謝罪と賠償を要求したい所だ。
「そんなワケだから、もし川上さんが寂しがってケイにメールしたんだったら、ケイが相手してあげてくれよ」
 今のユキにはケイの方がいいだろう。一見空気の読めない人間にも見えるが、その実周りに気を使えるタイプだし、明るく運動神経もよく、男気もあり、話も面白い。僕なんかよりよっぽど魅力的な、優良物件なのだ。ユキだって、本当は彼を狙ってメールをしたに違いないのだから。
『いやー、俺女友達ってさ、そういう風に見れないんだよ』
 電話の向こうの声を聞いて、ケイの照れたような笑顔が目に浮かんだ。ああそういえば、と僕は高校の時の事を思い出す。似たようなことを言われた気がする。
 その後はしばらく雑談をしてから、もっとゆっくり話そうということになり、後日会うことになった。
 僕は電話を切ると、卒業アルバムを引っ張り出した。黒髪のユキを久々に見るのもいいが、目的はそれじゃない。
 あの子はどんな顔をしていたかな、と気になったのだ。ケイの友達のあの子は。

 彼女は名前を四谷イズミと言った。彼女はケイの友達だった。高二の春、選択科目のクラスで彼女とケイと同じクラスになって、その時知り合った。
 やや暗めの茶髪をショートカット切り揃えた彼女は、ソフトテニス同好会に所属していた。硬式テニス部と区別する為“ソフテニ”と呼ばれていたソフトテニス同好会は、人数こそ多かったものの、場所などの問題から部に昇格できず、学校の援助も最小限だったので、同好会費がかさむと四谷さんはよくこぼしていた。
 ケイは彼女の事を「変わった奴」と評していたが、僕にはそんな風には感じられなかった。確かにケイの言うように、人使いが荒い割りに大した給金のもらえないバイトを文句も言わずに続けるのは、健全な高校生として間違っているのかもしれない。やめてしまうのが普通なのかもしれない。しかし、このエピソードは僕に真面目な女の子という印象を与えた。
 四谷さんのいないところで、僕がケイにそう言うと、あいつはすぐに彼女のメールアドレスを頼みもしないのに教えようとしてきた。当時の僕はまだユキが好きだったのでその旨を言い断ったが、ケイは「色んな女とメールしてみた方がいい」などと勧めてくる。
「ちょっと変わってるけど、いい子だぜ」
「それは分かるけど」
「顔もまあまあだし」
「そこまで言うんだったら、自分で付き合いなよ」
 僕がそう言うと、ケイは不意に黙ってケータイを閉じた。何となく不穏なものを感じた僕は、どうかしたと尋ねた。
「別に」
 彼はそう短く言って、会話を打ち切ってしまった。その日はそれっきりだった。
 10月の半ば、中間試験明け最初の授業の時、僕が選択科目の授業の教室に行くと、四谷さんとケイが先に来ていた。二人は教室の真ん中の二列の、前から三番目の席でしゃべっていた。そこは四谷さんの席で、その隣一番壁際の三番目が僕だった。
 ケイは僕の姿を見止めると、ようと右手を挙げて尻を載せていた僕が使う机から下りた。
 四谷さんは缶詰が当たる事で有名なチョコレート菓子の箱を手に取り、僕に一粒勧めてきた。キャラメルが中に入ったそれをありがたく一つ受け取る。
 その様子を見てケイは言った。
「四谷はチョコ食ってたら機嫌いいからな」
 確かに四谷さんはニコニコしていた。
「チョコレートが主食みたいなもんだよ」
 それは鼻血吹きまくりじゃないか、などと僕は思ったが黙っておいた。
「そんなにおやつばっか食ってるから、余計金がたまらないんだよ」
「たまるよ。あのバイト、時給上がったもん」
 まだやってんだよあのラーメン屋、とケイは四谷さんを指して僕に笑いかけた。
「ねえ、ケイもやろうよ」
「何で?」
「人足りないんだ。どう?今なら週休なし、交通費自己負担、土日は終日シフトで時給580円!」
 どうだ、とばかりに胸を張る四谷さん。ケイは溜息をつき、僕は曖昧に笑った。
「最低賃金じゃねえか」
「柄の悪いお客さんも多くて、面白いよ!」
 それを面白いで済ませて、いいんだろうか。
「よくそんなんで働いてるな」
「二人になったら、もっと楽できるからさ、来てよ。どうせ暇なんでしょ?」
「暇じゃねえよ。クラブあるし、無理」
 ケイは当時バスケ部に所属していた。
「っていうかお前、よくそんなんで同好会とか出来るな」
「うん。部費を払ったけど全然行けてない」
 本末転倒である。確か、部費を払う為のバイトだったのでは?
「まあ、いいの。別に、付き合いで入っただけだから」
「お人よしだな。払ってねえやつもどうせいるんだろ?」
「だからってあたしが払わなかったら、もっと同好会がビンボーになっちゃうよ」
「他人が自分の金でのうのうとテニスしてるのって、嫌にならねえの?」
「別に。みんなが楽しいんなら、あたしも楽しいもん」
 言って彼女は自分でチョコ菓子を食べた。
「そりゃウソだろ」
 四谷さんは一瞬無表情になった。カラーの絵が、スッと白黒になったようだった。ケイが気付かないくらい一瞬の出来事だったが、僕はばっちり見てしまった。何だか着ぐるみの中の人を見たような気になって、気まずく下を向いた。
 直後に、本当にすぐに四谷さんは唇に微笑みを取り戻したが、何も言わなかった。ただ静かに笑っていた。チャイムが鳴り、先生が入ってきたので、ケイはじゃ、と言って窓際の席に戻っていった。
 授業中ちらりと四谷さんの方をうかがった。視線は黒板ではなく、別の方を向いていた。そちらを向いて、ボーっと頬杖をついていた。視線を追って僕は「ああ」と得心して、昼休みに確かめてみようと思った。

 僕やケイが通っていたのは中高一貫教育の高校だが、中学と高校で校地が違っていた。上に大学があるが、僕の仲間内ではケイだけそっちに行かず、別の大学の医学部へ行ってしまった。
 中学の頃からケイは僕と一緒のとき、決まってラーメンを食べていたように思う。校地が違うので食堂も異なるが、味は同じようなものだそうだ。というのは、僕は高校の食堂では専らササミチーズフライを食べていたので、ラーメンについては正確なことを言えないからである。
 そしてこの日も、やっぱり僕はササミチーズフライで、ケイはラーメンだった。
「何だよ聞きたい事って」
 ケイは、もやしの方が麺より多いと評判のラーメンにコショウを振りながら言う。
「四谷さんさあ」
 回りくどい事をするよりも直球を投げたほうがいいだろうと思い、即座に本題を切り出すことにする。
「多分、ケイの事好きだと思う」
 ケイはコショウを振る手を止めた。食堂の喧騒がやけに大きく聞こえる。隣でしゃべっている一つ上のラグビー部と思しき面々の愚にもつかない会話や、後ろに座る女子生徒の群れのきいきい言う声がやけに耳に付く。色々な料理の匂いが混じった独特の臭気が、濃くなったようにも思えた。
「知ってる」
 ケイはようやくそう言って、胡椒を元の場所に戻した。長い沈黙に思えたが、実際10秒もたっていなかった。
「告白された?」
 ケイは首を振る。
「態度見てりゃ、分かる」
「さすが」
 それはそうか。傍から見てた僕が分かるぐらいなんだ。こういうことに慣れているケイが気付かぬ筈もない。
「じゃあ何で答え出さないの?」
「出せねえよ」
 出さない方がいいって事もある。そう言ってケイはラーメンを一口すすった。
 僕はそれ以上深く理由を問うことはしなかった。ただ黙って、食堂の衣ばかりのフライにかじりついた。
 無言の食事が終わって一息ついた時、ケイはポツリと言った。
「もったいない」
 一瞬どんぶりの中のスープの事かと思い、だったら飲めばいいじゃないかと言おうとしたが、すぐに気が付いてやめた。
「四谷さんが?」
 ケイは何も言わなかった。何も言わないという事は、肯定なんだろう。
「お似合いだと思うけど」
 少なくとも僕と付き合うよりかは、と心の中で付け足す。
「ねーよ」
「どうして?」
 ケイは答えず爪楊枝を取り、使い始めた。お絞りで顔を拭いたりと、こういう所は親父くさいヤツだ。
「いい子だってケイも言ってたじゃない。話も弾んでる。向こうもお前が好きだ。申し分ないじゃないか」
 ケイは爪楊枝を折ると、どんぶりの中に落とした。楊枝は濁った液体の底に消えて、見えなくなった。
「いい子だからだよ。俺なんかには四谷のいい子なトコロが、もったいないんだ」
「何でそう思うの?」
「四谷がいくら俺を好きでも、俺はあいつをそういう風に見れないんだよ」
 ああ、と僕は納得した。友達でしかないのだ。僕や、バスケ部の連中と同じようなカテゴリーにしか、四谷さんには悲しい事に属せないのだ。
「俺まだ中学の時のあいつ――ユイの事、多分好きなんだろうな。だから、四谷の気持ちに真っ直ぐに向き合ってやれない。でも向こうは真剣なんだから、そんなの失礼じゃね?」
 今度は僕が黙る番だった。僕は言葉を必死で探したけど、結局何も言わない内に予鈴が鳴り、僕らは同時に席を立った。

 ケイを結構適当な奴だと僕は思っていたし、今も思っているけれど、この出来事は少しだけ僕の彼に対する見方を変えた。
 友達だからこそ、好きになられるのは辛い。応えてやれないから。
 あの時、当時の僕には何も言えなかった。今の僕にも何も言えない。ただ、そういうある種の誠実さ、いや愛と言ってもいいだろう、そういうものをケイは持っていたのだということは、分かる。
 そして、彼は僕以上に思いの強い人間だったようだ。何故ならケイは内部推薦を蹴り、南野ユイを追いかけるようにして、同じ医学の道を志したのだから。
 今もキャンパスの中で会ったりしているのだろうか。しゃべったりしているのだろうか。ヨリを、戻したりもしているのだろうか。

 卒業アルバムの中、四谷イズミは静かに笑っていた。彼女の周りには、友達と思しき多くの女子生徒が写っている。その中に一つの顔を見つけて、僕は目を丸くした。
 最初見たときは気が付かなかった。でも、よく考えたら自然な事だ。ケイの元彼女、南野ユイの姿がそこにはあることは。だって二人は友達なのだから。
 カメラに向かって右手を振る四谷イズミ。
 その右隣にしゃがみ、笑ってピースサインをする南野ユイ。
 この写真を見て、僕は四谷イズミは全て分かっていたのだ、と僕は確信した。ケイが自分の気持ちに気付いている事も、ケイがまだ南野ユイを好いている事も、それ故に決して自分の気持ちに応答がない事も。
 そして、ケイが知らないふりをするのが「ある種の愛」である事も。


 ショッピングセンターのショーウインドウに備え付けられた大きな時計が、7時を告げる。後1分。
 僕は歩道に背を向けて、時計の仕掛けを見上げる。黄色いボールが打ち出され、スロープを伝い、転がっていき、どんどん籠にたまっていく。籠の中のボールは順々にまた打ち出される。それが休みなくただただ続いていく。
 この繰り返しの向こうから、もうすぐケイがやって来る。きっと音楽を聞きながら歩いていて、僕の姿を見つけたら右手をひょいと挙げて「よう」と言い、イヤホンを外しながら近付いてくるに違いない。そうしたら僕も、右手を挙げて「久しぶり」と返すのだ。
 会ったら何を話そうか。当然最初は近況報告だ。高校の時の仲間連中がそれぞれ何をしているか、学年で一番人気だったサユリちゃんが毎日違う男といることや、あの目立ちたがりで煙たがられていた軽音楽同好会の部長に彼女が出来た事も教えてやろう。
 それから、四谷さんに彼氏が出来た事も。彼女が幸せそうに食堂で、大学から入って来た男の子と、あの日の教室のように笑いながらチョコレートパフェをつついていた事を。
 これを言ったらケイは、どんな顔をするだろう。へぇと言うだけだろうか。ホッとしたような顔をするだろうか。それともそんな顔をしながら、内心で舌打ちするのだろうか。
 後30秒。振り返ってもう一度見上げた空は、殆ど闇に包まれていて、わずかに夕焼けの赤を彼方に残すばかりだった。


<a kind of love  完>


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