一 それじゃあ、全裸になりなさい その2 優歌のクラスの担任・野川豊とは、三十代半ばの長身痩躯の男であった。 ワイシャツの上に白衣をまとい、銀縁の眼鏡をかけたその容姿は、絵に描いたような理科教師であるが、担当は現代文だと自己紹介し、ざわめきをまき起こした。 職員室を訪れた優歌が入り口できょろきょろしていると、その野川がコーヒーの入った紙コップを片手に声をかけてきた。 「どうした、伊東?」 もう顔と名前を一致させている事に優歌は驚いた。 「少し、お尋ねしたいことがありまして……」 「お尋ねときたか」 苦笑しながら肩をすくめて、野川は優歌を伴って自席に移動した。 「で、何だ?」 「あの、自由創作部ってなんですか?」 問われた野川の眉が、ぴくりと動いた。 あのプリントに担任教師の名前を発見した優歌たちは、とりあえずクラブの中身を確かめようという所では一致した。クラス担任になら聞き易いし、ということで、陸上部へ見学に行ったルミと亜衣と別れ、優歌は単身職員室に乗り込んできた、という訳である。 「先生が顧問をされてるんですよね?」 何で知ってるんだ、と何故か野川は照れたように笑った。 優歌は鞄から二つに折ったわら半紙を広げて、紙の右隅を指した。 「ここに書いてありました」 「あいつら……。これが一人は釣れるって作戦か……」 「はい? 釣り?」 「担任の名前を書いておけば、確かに一人は聞きに来るだろうが、俺任せかよ……」 一つ咳払いをして、野川は言った。 「自由創作部の活動に関しては、一言ではちょっと説明しにくい」 「はあ……」 説明しにくいから、こんな特に何も書いていない状態なんだろうか。 「いや、単にこれはやる気がないだけだろう」 考えを口にした優歌に、野川は首を横に振った。 「説明しにくいんだったら、この『全裸にならない』の意味だけでも教えてくれませんか?」 「そこに目を付けるとは、やるな伊東」 「やるな、と言うか、それ以外にこのクラブ情報ないじゃないですか」 「こいつは非常に重要な部分だ」 しかし説明するのは簡単だ、と野川は笑う。 「もし、自分のクラブにところ構わず全裸になろうとする人間がいたら、どうだ?」 「はあ?」 そんなの困るに決まっている。 「そういうことだ」 深く、深く野川はうなずいた。 「いや、あの、よく分からないんですけど……」 「常識のある人間だったら問題はないという事さ。何かを作ってやろうという、創作の意志および能力があるなら、尚いいがな」 「そ、そうですか……」 「そうだ。うん、我ながらよい言い訳、もとい説明だった」 「今、言い訳って言いませんでした?」 「そんな細かい事は気にするな。頭頂部から禿げるぞ、校長のように」 危ない冗談が飛び出した。優歌は思わず、辺りに河童ヘアの校長がいないか見回す。 「まあまあ、とにかく中身が気になるなら見学してみてはどうだ? 百聞は一見にしかず、迷わず行けよ、行けば分かるさ」 国語教師なのかプロレスラーなのか、よく分からない言葉で締めくくった。 というわけで、優歌は学校の敷地の外れにある通称「クラブボックス」と呼ばれる二階建ての建物へとやってきたのであった。 外観は小さなアパートのようで、優歌は少し戸惑った。 一階と二階に六部屋ずつ、計十二のクラブがこの建物を利用しているらしい。 優歌が野川から教えられた自由創作部の部室は二階の一番右端、学校の敷地ぎりぎりの一室であった。 その部屋の鉄扉に貼り付けられたプレートには、「演劇・パソコン研究・美術・文芸・ワンダーフォーゲル部」と書かれていた。「ワンダーフォーゲル」と「部」の間には「学園探偵」とも書かれていたが、その文字列は二重線で取り消されていた。 優歌は部屋の前で頭を抱える。 これは、どういうことだろうか。 何でこんなに詰め込まれてるんだ? しかも明らかに運動部っぽいワンダーフォーゲル部まで組み込まれているのが理解できない。取り消されてはいるが、学園探偵はもっと理解できない。わけが分からないよ! と叫びたくなる。 やめておくか? いや、ここまで来たんだ。入ってみよう。 百聞は一見にしかず。そう言い聞かせて、優歌はそのドアを開けた。 「失礼しま……す!?」 ドアを開けた彼女の目に飛び込んできたのは、信じがたい光景であった。 部屋の左隅に鎮座したパソコンに向かって、一人の男子生徒が黙々と作業している。 右奥に置かれた革張りの古いソファーには、ウェーブのかかったロングヘアの上品そうな少女と、何故かハンチング帽にインバネスコートというシャーロック・ホームズのコスプレのような格好をした背の低い少年が座っている。 正面の壁には大きな本棚が二つも並んでおり、ぎっしりと本が詰まっている。 ここまではいい。確かに妙なコスプレ少年がいるが、それもアレに比べれば、微々たる問題だ。 本棚のまん前に座り込み、全裸で自分の体に塗料を塗りたくっている女に比べれば。 「…………」 見なかったことにしよう。 優歌はそっとドアを閉めようとした。だが、内側から強い力で引っ張られる。 「待ちなさい!」 優歌の腕を掴んだのは、あろうことか全裸の女子であった。 「いや、いやー!」 思わず本気で叫んだ。薄暗い室内に浮かび上がる、顔にべっとりと塗られた赤系統の色が、血を思い起こさせて不気味だ。 「入部希望者? 入部希望者よね?」 「ち、ちが、違います!」 引っ張りこまれそうになるのを、必死に踏みとどまる。 誰か、誰か助けて。後ろを振り向くと、建物の下を歩く野球のユニフォーム姿の男子生徒が目に入る。 「助けてください! 痴女が! 痴女がいます!」 「誰が痴女よ! 失礼ね!」 部室内から世界一説得力のない抗議が聞こえるが、無視して叫ぶ。すると、階下の野球部員がこちらを見上げて怒鳴った。 「どうしたー!? 何があったー!?」 「痴女ですっ! 痴女に襲われて……」 「そこって自由なんちゃらとかいう部の部室か!?」 「そ、そうですー!」 必死に抵抗しながら、顔を真っ赤にして叫び返す。 「じゃあ、しょうがねえわな」 そう言って野球部員は歩いていってしまった。 「しょ、しょうがないって……!」 怒鳴り返そうとした時、遂に室内に引っ張り込まれてしまった。つんのめって両手を床についた優歌を見下ろして、全裸女が怒鳴る。 「初対面で人の事を痴女ってどういうことよ! 恥を知りなさい!」 恥を知るのはあんただ、と言い返そうとしたとき、背後でカチャリと音がする。 振り返ると、さっきまでソファーに座って本を読んでいたロングヘアの女子生徒が、ドアに鍵を掛けたところだった。 「ちょ、鍵……」 「一名様、ごあんなーい」 にっこりと彼女は微笑む。 とてもやわらかい笑顔なのに、優歌の背には何故か悪寒が走った。 |