五 来世でまた会おう その4 「中村さんとやら、あなたがどうして負けたか分かる?」 露子も美咲の丸まった背中に声をかける。 「どういう過去があるのか知らないけど、逃げていく方向に武装してしまったからよ。そんな古い装備は脱ぎ捨てて、裸の心でいなさいな。このあたしのように!」 被っていた布を大きく翻して、露子は白い裸身をあらわにした。 「裸の、心……」 顔を上げた美咲は、露子を見上げてぽつりと言った。 いや、ただの全裸じゃないか。優歌はそう思ったが、美咲には何か感じる所があるようなので、口には出さなかった。 「私も、脱ぐ!」 「その意気よ!」 「違う!」 ブラウスのボタンに手をかけた美咲を、煽る露子、それを止める優歌。しかしその優歌の静止も虚しく、美咲はブラウスを脱ぎ捨てた。 「おおおおっ!」 歓声を上げる松代の目を、エミリが後ろからふさいだ。 「ちょ、エミリさん?」 「見ちゃダメ」 「いや、胸が、背中に……」 「当ててあげるから、見ちゃダメ」 別の盛り上がりを見せるエミリらをよそに、露子は美咲を急かした。 「さあ、下も行きなさい!」 「はい、師匠!」 「入門しちゃダメー!」 「何よ、女子高生を脱がすという、あたしのささやかな楽しみを邪魔する気?」 「どこの中年親父の妄想ですか! 毎回毎回いい話っぽい流れにオチつけやがって!」 「さすがにまずいよ、部長。外だし」 スカートのホックに美咲が手をかけたのを見て、あゆみも珍しく加勢してきた。 「じゃ、続きは中でやるわ」 「うん、ならいいね」 しかし簡単に引き下がった。 「名探偵やっぱり頼りにならない!」 優歌の叫びがこだました時、クラブボックスの上からどこかで聞いた声が降り注いだ。 「待てぃ!」 この声は、吾郎先輩? そう言えば部室の掃除用具入れに放置したまま忘れていたな、と優歌がクラブボックスを振り仰ぐと、そこには奇妙な格好をした男が立っていた。 学校指定の男子用ジャージの上下に、剣道の面と篭手を身につけている。右手には竹刀も装備済みで、有体に言えば不審者、オブラートに包んでも危ない人である。 「少女の悲鳴が天に響く時、大鷺に吹き荒れる疾風怒濤! そう、この私こそ!」 剣道面の男は高らかに口上を述べた。露子も、松代の目を抑えたままのエミリも、呆れたような顔でそれを見上げている。美咲は首をかしげ、あゆみは何故か緊張した面持ちだった。 「ヨハンッ! クリストフッ! フリードリッヒ・フォンッ! リッカァァァァ!!」 名前やミドルネームを名乗るたび、ポーズをびしびしと決めて、ヨハン・リッカーはクラブボックスの屋根から、優歌たちの元へと往年の特撮ヒーローよろしく「とお!」と飛び降りた。 「さあ、その少女を放したまえ、怪人ゼンラ女!」 高い位置からのジャンプだったのだが、華麗に着地を決めて、ヨハン・リッカーは竹刀の先を露子に突きつける。 「誰がゼンラ女よ! また性懲りもなく出てきたわね!」 また、という事は今までもやっているのだろうか。 「去年は十回くらい見たわね」 「まさかの月一ペース!?」 「え? 何? 吾郎さんまたやってんの?」 視界を塞がれっぱなしの松代は、そう言ってきょろきょろする。 「しっ! あゆみちゃんに聞こえちゃうでしょ」 「え? どういうことですか?」 「ヨハン・リッカーの正体に気付いてないのよ」 だから今も難しい顔をして、ヨハン・リッカーを見ているのか。こんなにばればれで、十回近く見ているのに。いや、脳みそがあの変態を兄であると理解するのを拒否しているのかもしれない。面をとっても変態ではあるのだが。 「ええい! 面倒!」 押し問答を繰り返していたヨハン・リッカーはそう叫ぶと、竹刀を構えて振りかぶった。 「必殺! シュツルムッ・ウントッ・ドラァァァンクッッ!」 「いだっ!?」 小気味よい音を立てて、露子の頭にただの面を食らわすと、呆然としていた美咲に、ブラウスを拾って手渡した。 「自分のことは大切にしたまえ。それと、人を永治などと呼んでやたらと追い掛け回すのはやめるように。リアルに怖いから」 後半はやたらと具体的なアドバイスであった。しかも実感がこもっている。さっき逃げ込んできたのはやっぱりそのせいか、と優歌は確信する。 それでは諸君また会おう、そう言い放ち、高笑いをしながらヨハン・リッカーは校舎の方へ走って行った。 「……台風のような人でしたね」 「くそっ! ヨハン・リッカー! 一体何者なんだ!」 悔しそうに地団太を踏むあゆみを冷ややかに見て、優歌は美咲に視線を戻す。 彼女はヨハン・リッカーの去った方をぼうっと見ていた。 「っつうぅ、ドメスティック・バイオレンスよ、これ……」 前頭部をなでなで、ぶつぶつそう言うと、露子は美咲に向き直った。 「ま、邪魔者も行ったし、部室で続きを……」 「いや、わたしはもう脱がない!」 そう言うと美咲はブラウスに袖を通した。 「どうしてよ!」 当然のことなのだが、露子は明らかに不満そうであった。 「あの方が、ヨハン・リッカー様が、わたしに服を着ろと言ったから……」 頬をほんのりと染めてすら、そう言った。 「ま、まさか……」 「今分かった! 永治なんて必要ないんだ! わたしは、あの人に会うために生まれてきたんだ!」 「え、えー……」 優歌と露子は同時に言った。げんなりとした顔も同じだ。 「待って! ヨハン様! 今参ります!」 中村美咲はヨハン・リッカーを追いかけるように、彼の去った方へ走っていった。 「これにて一件落着ね」 そう言って、エミリは松代から体を離した。 「いや、落着してませんよ! 余計悪化させただけじゃないですか!」 それでも一応実在の人物に興味を向けられたのだから、マシになったのかもしれない、とも思ってしまう優歌であった。 |