×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


act.00 原初の混沌


 あたしには、スリの才能があるのかもしれない。
 けたたましい音を立てて鳴り響く警報音。それに驚く、ちゃらちゃらした女子大生の青ざめた顔を遠目に見ながら、そう心の中で呟いた。
 店員がカウンターから飛んできて、当惑する女子大生に鞄を開けるように言う。出てきたものは見えないけれど、それが何かをあたしはよく知っている。
 しかし女子大生は知らない。そんな一本100円のシャープペンシルなんて……。
 その見ず知らずのシャーペンのために、彼女は店の奥へ引っ張っていかれた。哀れ。
 あたしは自分のもたらした結果に満足しながら、女子大生がいなくなった入り口を通って、店を後にした。
 勿論、警報機は何の音も立てなかった。

 あたしは神だ。
 あの女子大生の運命を支配した、あたしは神だ。
 あの文房具屋ではあたしは神だ。
 無用心に口の開いている手提げ鞄に、或いはファスナーなど初めからついていない安物に、あたしは店の品物を入れる。
 こっそりと、時には大胆に投げ入れる事もある。
 そうすると当然、レジを通していないのだから警報機は鳴る。入れられた方はビックリだ。
 店員が素っ飛んで来て、哀れな子羊を事務室に引っ張る。
 そしてあたしはにっこり笑う。
 彼らの当惑した表情に恍惚感を覚える。
 素っ飛んで来る店員の様子に全能感を得る。
 引っ張られていく様に加虐心が満たされる。
 最近などは、警報機の音を聞いただけで軽く達してしまいそうだ。
 あたしは全知全能の神だ。
 但し、手提げ限定の。


「ただいま」
 そう言いながら玄関を開ける。
「おかえり」
 言いながら中年女が家の奥から出てくる。相変わらず貼り付けたような笑顔をしている。
 こんな女の股から生まれた子供も、同じ顔をしているのだろうか?
「テストは?」
「よくできたよ」
 いつものようにそう答える。真面目に答える気なんてさらさらない。
「咲ちゃんはよく出来るものね」
 満足したらしい。心の中で嘲笑した。
「さあ手を洗って着替えてらっしゃい。お昼ご飯は出来ているわ」
「うん」
 手を洗え?
 そんな陳腐なセリフ、今時ドラマの中でも使われない。まあ彼女は彼女なりに暖かい家族を演出しているつもりなんだろうが。
 洗面所に行くと、二十代くらいの男が立っていた。薄汚れたジーンズをはいてボサボサの頭、おまけに口の周りに汚らしい無精髭を蓄えていた。
「よー、早いな今日は」
「ただいまお兄ちゃん。テストだったんだ」
 ジーンズ洗えよ髪とかせよ髭それよ。
「へー、高校生は大変だな……」
 分かったからジーンズ洗えよ髪とかせよ髭それよ。
「まあ、咲はよく出来るからテストなんて大したことないか」
 そんな訳ないだろ。とりあえずジーンズ洗えよ髪とかせよ髭それよ。
「うふふふ」
 わたしが曖昧に笑うと彼は満足したようで、じゃちょっと行って来るわと洗面所を出て行った。多分、パチンコだろう。
 素行不良で高校を中退して、働くでもなく勉強するでもなく毎日パチンコ三昧に明け暮れる、ニートで汚らしくて臭くてどうしようもないダメ男だが、あたしは彼がこの家にいる人間の中で一番好きだった。
 自由で自分に正直――そんな生き方があたしの理想だから。


 どこか作り物のような味気ない昼食を食べ、あたしは部屋に戻った。
 鞄から今日終わった科目の教科書や参考書を出し、机の前の本箱に入れる。
 本箱の中にはきっちりと隙間なく全ての教科書が入っている。
 その隙間のなさにあたしは嫌になった。他の物、例えば机の中の文房具やタンスの中の服なども、同じくきっちりと入っている。この隙間のなさは嫌になる。周りの人間たちから見たらあたしもこう見えているのだろうか、と少し思った。

 ――混沌が足りない。

 あたしは本箱をひっくり返して床にぶちまけ、教科書のページをことごとく破き、踏みつけた。
 物音に驚いて、中年女が慌てて部屋に入ってくる。
 どうしたの!?
 知るかババア!!!!
 あたしは叫んで空の本箱を投げつける。額が割れて、見知らぬババアは昏倒した。無様に床に倒れて、本当に気持ちがいい。
 あたしは更にタンスを引き倒し、ババアが趣味がいいと買ってきた服を引き裂いた。
 ババアがやめなさいと叫ぶが、知らない聞こえない何言ってんのカスが!!そんなにこの布切れが欲しけりゃくれてやる!!
 あたしは破いた布を投げつける。布に埋もれてババアがもごもごと動く。バカだ。
 投げる布がなくなったから、あたしは自分の着ている服も引き裂いた。
 ブラも引き裂いた。金具が飛ぶ。
 ショーツも引き裂いて、蠢く布の塊目掛けてナプキンも投げつける。嫌なあの臭いが軌道を描いて飛んでいく。
 あたしは嗤う。
 生まれたままの姿で嗤う。
 あたしのままの姿で嗤う。
 両手を広げて天井を仰いで、空を飛んでいるような気分で跳ねる。乳房が揺れる。
 最高だ。
 最高だ。
 サイコーだ!!!!
 壁を殴る。大穴が開く。布の塊は蹴飛ばしてやった。
周りが真白に見える。真白の空間であたしは一人で笑い、壁を殴り、蹴り、頭を打ちつけ、嗤う。
 視界がぐるぐる回る。
 クラスメイトがやってきた。全裸のあたしに悲鳴を上げる。
 お前の名前なんだっけ?知らない知らない。男子生徒のズボンはテントを張っている。やらしい。ヤリたい?あたしとヤリたい?やだね汚い!!
 バカばっかりだ。あんぐり口を開けてやがる。一つ一つに汚い雑巾を噛ませてやった。
 噛ませて、それで、片端から絞ってやった。
 くぐもった悲鳴。八の字に歪めた眉。最高に惨めだぜお前ら!!
 女子には腹に一発づつくれてやる。男子は股間を蹴り上げてやる。お前らみたいな連中は、ヤッて子孫を残す必要もないだろう?
 呻く連中を見かねて、遂に担任と中学時代の担任と小学校時代の担任と幼稚園の先生と校長が十人ぐらいでやってくる。
 君は退学だ!
 知るか!!だから何だってんだ!!
 校長に飛びついて頭を掴む。バーコード禿げにレジの読取装置を近づける。
 ピッ。110円。
 嘲笑してバーコードを毟る。
 先生たちは悲鳴を上げる。
 担任の口にチョークを詰め込んでやる。
 中学時代のにはスリッパを入れてやる。
 小学校の時のには牛乳瓶を詰めてやる。
 幼稚園のヤツには、口の中でグリコのプリンをぷっちんしてやる。
 全員黙らせた。
 あたしが神だ最高だ!
学校で威張り腐ってた学級委員女の腹を踏みつけながら、あたしは吠えた。
 猿どもが、死ねー!!死ね死ね死ねー!!!!
 全員黙らせた。全員黙らせたのに、誰かが言った。
――やっぱり、あのお兄さんの影響かしら?
 誰だ!?あたしを侮辱するやつは許さない。
 あたしはニートじゃない。あたしは神だ。クリエイティブな職業だ。五分前に世界を作った!
 辺りを見回すと、口に雑巾もチョークもスリッパも牛乳瓶もプリンも突っ込まれておらず、布に中にも埋もれていない女が一人いた。
 見覚えのあるフリフリのワンピースで、見覚えのない顔をした長めの黒髪の貧相な女。
 誰だ?いや、誰でも構わない。
 あたしはゆっくり向き直って、手にカッターナイフを握った。
 お前も要らない。お前は死ね。
 そう言って、彼女の腹にカッターを突き立てた。
 彼女は倒れて、面白いほどに血を噴き出した。噴水だ。赤いお湯の噴水だ。
 ワンピースの下も大洪水だった。あたしはそいつののショーツを脱がしてやった。とろりとしていた。
 これですっきりした。最高だ!!!!
 あたしはまた嗤った。嗤いに嗤った―――

 という妄想をしていたら、本当にルーズリーフをカッターナイフで切り裂いていた。
 やっちまったぜあたし。
 一枚無駄にしたそいつをゴミ箱に放り込んで、カッターを通学鞄の中にしまう。
 そして、新しい紙を出して退屈な英文を書き連ねていく。



目次に戻る