一 それじゃあ、全裸になりなさい その1


 始業式。近所の席のクラスメイトとの挨拶。担任との顔合わせ。生徒手帳の配布。自己紹介。学校生活を送る上での諸注意、心構え……。
 あれやこれやの「はじまりの儀式」を終えて、伊東優歌は一人息をついた。
 高校最初のホームルームは、思ったより早くに終了し、後は机に積まれた雑多な配布物の山を鞄に畳んでしまって、とりあえずは帰宅するだけである。
 しかし、教室には多くの生徒が残っていた。新しい環境で、うまくやっていくために、人間関係を構築するのに必死の様子だ。
 優歌の前の席、教室のドア側先頭、出席番号一番の女子もそのつもりなのか、後ろを向いて話しかけてきた。
「ねえねえ、伊東さんは何のクラブに入んの?」
 その女子、市川ルミは小柄でせかせかした早口でしゃべる少女であった。小動物っぽいタイプだな、と優歌は密かに思った。
「そうねぇ……」
 それが優歌にとっては、喫緊の問題であった。中学までと同じく、無所属の帰宅部でもいいが、できたらクラブの友達も欲しい。人脈を広げておくことは重要だ。
 相槌を打ちながら、優歌は先輩たちが工夫という名の下に悪乗りや、やっつけ仕事で作り上げたビラの集合体を、プリントの山から引っ張り出す。
「あたしは陸上部にしようと思ってるんだけど……」
 どう? と問われて、優歌は曖昧な笑みを浮かべる。
「わたし、ちょっと運動苦手で……」
「あー、そうなんだ……。体格いいのにね」
 確かに優歌は、一六〇センチ台後半と、女子としては身長が高いほうだ。ただ、それは見掛け倒しなだけで、足が遅い、体は硬い、反射神経も鈍い。とりわけバレーの授業などでは味方からがっかりされた。
「陸上部ですかー?」
 横から新しい声が会話に入ってくる。優歌の隣の席に座る、小池亜衣であった。
「いいですねー、わたしも入ろうと思ってたんですよー」
 おっとりした性格が、話し方からも伝わってくる。明らかに鈍そうだが……と他人事ながら優歌は心配になる。
「小池さんだっけ? そんなおっとりゆっくりの調子で陸上部って大丈夫なの?」
 ルミも同じ様なことを思ったのか、亜衣に問い返す。
「はいー。中学の時からやってますしー」
 相変わらずの眠たい口調だが、本人の言葉が確かなら、何とかなるだろう。所詮他人事、そう考えることにして、優歌は自分の問題を片付けるべく、クラブ紹介のプリントに目を落とす。
 プリントは二枚組みで、一方が体育会系、もう一方が文化系のクラブの紹介であった。入らないとは思っていても、一応体育会系の方にも目を通す。
 野球、サッカー、バスケ、テニスとメジャーどころの球技から、空手や剣道といった武道、変わったところではアーチェリー部、スキー部など、全部で十五種類が並んでいる。野球部や剣道部はシンプルで真面目、ラグビー部は悪乗りが過ぎる感じの内容、サッカー部はマネージャーが作った事が明白な手書き丸文字体と、部のカラーもある程度読み取れる。
 件の陸上部は、その中では真面目な部類で、硬派な印象。優歌にはちょっとついていけそうにない。
「なんだ、亜衣ちゃんマネージャー志望なんだ」
「はいー、中学の時もそんな感じでー」
 もう下の名前で呼ぶほどに仲良くなっている。
「伊東さんはどう? マネージャーなら運動神経関係ないよ」
「代わりに奉仕心が求められますけどー」
 それもちょっとなあ、と優歌はまた曖昧な笑みを浮かべる。このチラシを見る限りで言えば、サッカー部なんて、マネージャーを体と見てくれのいい雑用係程度にしか思ってなさそうだし、実質もそうだろう。陸上部は真面目なようだから、そこまで理不尽なことはないだろうが、上下関係が厳格そうだ。
「まあまあ、本人のやりたいことが大事だしね」
 爽やかにルミは笑った。
 やりたいこと、か。優歌は少し考える。
「それが、よく分からなくて……」
 陸上部への誘いを断ったのは、それがやりたくなかったからだ。運動が苦手だし、みんなに迷惑を掛けてしまうだろうし、というのもある。
「うーん、そうだね、あたしは陸上ずっとやってて、好きだっていうのがあるから、続けたいんだね」
「わたしはー、人のお世話をするのが好きでー」
「伊東さんは中学の時は何部?」
「いや、クラブ入ってなくて……」
 継続してやっていこうと思えるものがあれば、苦労しないのだが。
「だから、さっきから慎重にプリントを見てるんですね」
 亜衣に言われて、優歌は一つうなずいた。
「じゃあじゃあ、運動がダメなんだったら、文化部?」
 ルミに言われて、文化系クラブのプリントに目を移す。こちらも十五種類だ。
「理科部に、コーラス、茶道……言っちゃ悪いけど、地味な感じ?」
「茶道部なのに、チェック柄で洋風のデザインの紹介文ですねー」
「ポリシーがないね」
「伝統の破壊が目的なのかもー」
「譲っちゃいけない部分もあるでしょ」
「ま、まあ茶道部には入らないから……」
 正座をするとすぐに足が痺れるし、苦い抹茶はごめんこうむりたい。
「軽音楽! よさそうですよ、これ。軽い音楽って、楽そうだし」
「いやいや、それロックとかだから」
「それに楽そうとか失礼だよ……」
「この家庭科部のうさぎのイラストかわいいですねー」
「話題変わるのは早いのね……」
 などとがやがや言いながら三人で見ていくと、不思議な宣伝に行き当たる。
 プリントの一番右端、左上から一、二と番号を振っていくなら十五番目、最後の部活は、名前を見ても宣伝を見ても意味不明であった。
 三人は顔を見合わせる。
 これはネタなんだろうか。それともラグビー部の類の悪乗りか。というか教師はチェックしなかったのだろうか。
 自由創作部。
 明朝体横書きで書かれたその字は小さく、自己主張を拒んでいるかのようだった。
 活動内容等の説明もなく、続いてすぐに「部員資格」としてこう書かれていた。



・人前で全裸にならない方




 それだけである。
 書かれている内容もそれで全部、つまりクラブ名とたった一行の部員資格のみであった。他のクラブのように、枠を飾ったりすらない。
「何これ何これ? 超怪しい……」
「うーん、これは……」
「でも、気になるよね、ちょっと。自由って何するのか」
 確かに気にはなる。自由は大鷺高校の教育理念だったはずだ。ここに行けばその何たるかが分かるのかもしれない。いや、それは買い被りすぎか。
「これにしなよー」
「何で何で勧めてんの!?」
「入部して感想を聞かせて欲しいかなー、って」
「そういう実験台にはなりたくないんだけど……」
「あ、でもここここ」
 ルミが指差した所をよく見ると、小さな字で「顧問 野川豊」と書かれている。
「うちの担任じゃん」



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