二 今回のは不可抗力だ その2



「今は何をしてるんですか?」
 そう尋ねながら、優歌は彼の背後に立ち、パソコンの画面を覗き込む。
 そこには目の大きな、体格の幼い少女の絵と簡単な背景、そして少女の足元に四角い枠が表示されていた。
「ゲーム?」
「そうだ。これは恋愛シミュレーションゲーム『お義兄ちゃん、お義兄ちゃん、大好き、お義兄ちゃん きゅんきゅんはーとぷれしゃす』だ」
 恥ずかしいタイトルを詰まることも照れることもなく、淡々と言ってのけた。
「『きたのしょー』に通う七人の妹の内、一人を選んで攻略するゲームでな」
「恋愛でなんで妹!?」
 今朝似たような会話をしたことが脳裏によみがえる。
「しかも『きたのしょー』って、小学生と何する気ですか……」
「小学生じゃないぞ。このゲームに十八歳未満の人物は登場しない」
「いや、どう見てもこの絵はちっちゃい子ですよ! しかも『しょー』だし!」
「『きたのしょー』は喜多野商業大学の略、登場する妹はそこの一年生、つまり十九歳だ。どれだけ絵柄が幼く見えても、そういう設定になっているのが普通だろう?」
「どこの世界の普通なんですか……」
 なんと言う欺瞞か。頭が痛くなってきた。大体年上だし、妹にならないじゃないか。
「それに妹物は非常に需要のあるジャンルだぞ。まあこれは義妹だが、それでも戸川の兄がどハマりする程の出来だ」
「風紀委員長が何をしてるんですか!」
 本気で妹に手を出さないか、心配になってくる。
「吾郎さんと面識があったのか」
「ええ、今朝会いました」
「仲良くしておけよ。部長を最後に止められるのはあの人ぐらいのものだ」
「え? エミリ先輩や神崎先輩じゃダメなんですか?」
「俺や真倉だと、部長が再起不能になってしまうかもしれん」
 ああ、強すぎるのか。優歌は得心した。
「意外とデリケートな生き物だからな」
 そう言えば、昨日もよく涙目になっていた。
「あの人も全裸じゃなくて、何か装備した方がいいでしょうに……」
「うまいことを言う」
 神崎はマウスを操作し、青枠に表示された選択肢の下段の方を選ぶ。すると、パソコン画面の少女が泣き顔になったのが、優歌にも分かった。
「む……またか」
「どうしたんですか?」
「彼女、萌黄夢美というんだが、七人の妹の中でも攻略が難しい子でな」
「は、はあ……」
「何度やってもバッドエンド、よくてもグッドエンドにしかならない」
「よく分からないですけど、グッドならいいんじゃ……」
 神崎は首を横に振った。彼の語るところによると、このゲームにはキャラクターごとにバッド、グッド、トゥルーの三種類のエンディングが用意されているのだという。
「バッドエンドだと主人公、つまりプレーヤーを自分の死んだ兄と思い込んで錯乱したまま終わる。グッドエンドだと途中で正気に返って、『よくも騙したな!』と主人公をバットで滅多打ちにして殺す」
「無茶苦茶じゃないですか!」
 トゥルーエンドでもろくな展開が待っていそうにない。
「彼女はヤンデレでブラコンという業の深いキャラクターだから仕方ない面もある。人気も低いしな。正直俺も、画像のコンプリート目的以外に、こいつを落とすモチベーションは沸かない」
「そ、そうですか……」
 頑張ってくださいと言う外なかった。
「失礼する」
 言葉と共に部室に入って来たのは、件の風紀委員長・戸川吾郎であった。
「吾郎さん、お疲れ様です」
 神崎は立ち上がって彼を迎えた。
「七条はまだ来ておりませんが……」
「別に露子ばっかり追いかけている訳ではないよ」
 露子とか呼んじゃうんだ、と傍で聞いていて優歌は何故かドキドキしてきた。
「では、あの鬱陶しい一人称の妹君ですか?」
「ちょ、お兄さんの前で失礼ですよ!」
「はっはっは、構わんよ」
 慌てる優歌に、鷹揚に吾郎は笑いかける。
「あゆみの魅力は俺だけが理解していればいいのだ。そう、世界で俺一人だけが……」
「何か怖いこと言い出した!?」
 こんな危ない兄に、あゆみは困っていないのだろうか。あの性格だから大丈夫か。
「ゆくゆくは兄から夫にクラスチェンジするのだ」
「失礼ですが、それはどうやってもチェンジ条件を満たせないかと」
 神崎先輩がツッコむレベルなのか、と妙なところで優歌は感心した。
「生きにくい世の中だな」
「遺憾ながら、ハードの仕様です」
「戸川先輩が生き易い世の中って恐ろしいんですけど……」
 風紀委員長の癖に、こんなに秩序がなくていいのだろうか。
「ああ、そうそう。今日あゆみは来ないぞ」
「遂にひからびましたか?」
「どんな欠席事由ですか。朝ぴんぴんしてましたよ」
 ちっ、と神崎が舌打ちしたのが聞こえた。
「昨日目撃されたという、イモリ女の謎を解くために走り回っている」
「イモリ女?」
「なるほど。獣耳の次は両生類ですか。しかし、ややマニアックな萌えですな。自分はいけますが、一般的な需要は開拓できるでしょうか?」
「先輩って二次元なら何でもありなんですね……」
「残念ながら、そんなカワイイものではないらしい」
 吾郎の話によると、昨日の放課後、複数の生徒が屋上から校舎の壁を伝って降りてくる、緑色の女を目撃したのだという。
「優歌くんの為に補足しておくと、イモリ女自体はこの学校には昔からある怪談なのだ」
 目撃者の多くは一年生だったが、その話を聞いた上級生が「イモリ女だ!」と騒ぎ出したそうだ。
「ああ、思い出しました。屋上から飛び降り自殺を図った、女生徒の霊でしたか」
地面に激突し、頭を割ったため血塗れで、その色がイモリの赤い腹を思い起こさせるのだと言う。
「うむ。自分を見たものを屋上に引きずり上げ、一緒に飛び降りるそうだ。数年前に、実際一人やられたなんて話もある」
 見た生徒は戦々恐々としているだろう。優歌も背筋が寒くなる。
「怪談は苦手か、伊東?」
「え? ええ、少し……」
 顔が青くなっていたのか、神崎が気遣うような視線を向けてくる。
「何、心配することはない。俺が知り合いの絵師に頼んで、萌え絵にしてもらおう」
「はい?」
「可愛く描き直すことで対象に萌え、恐怖をなくすんだ」 「何ですかその一部の人に効果抜群な方法!?」
「某有名ホラー映画の女幽霊も、こうして克服されていったんだぞ?」
「それで何とかなるのって、先輩たちぐらいですよ」
「道連れを作るという事から、やはり寂しがりなヤンデレだな」
「妹属性も入れておいてくれよ。できればボクッ娘で頼む」
「先輩妹好きすぎるでしょ!」
 ちらりと吾郎は優歌に目をやる。
「イヅル」
「何でしょう?」
「気になるんだが、優歌くんはさっきから何でちくちくツッコんで来るんだ?」
「分かりません。昨日から止まらないのです。そういうフェチなのかもしれません」
「どんな認識ですか!」
「妙な性癖だな」
「先輩方にだけは言われたくないです」
「何を言う! 俺は兄として正常な判断をしているだけだ!」
「褒め言葉として取っておこう」
 ムキになる吾郎に対し、神崎はあくまで平静だった。
「それで吾郎さん、何か御用ですか? まさか妹の伝言板で来ただけではないでしょう」
「む……。まあ、その、見回りだ」
 暇なんだろうか風紀委員。なら全裸の人の取締りやイモリ女退治でもしたらいいのに、と優歌は思う。
「そうでしたか、お疲れ様です」
「うむ」
 敬礼する神崎に返礼し、吾郎は優歌の方を向いた。
「では俺はもう行くが、優歌くん、密室に二人きりだからといって、襲ったりするなよ」
「……そういうのは普通、男子に言いません?」
「ではな、イヅル。貞操を守れよ」
「スルーですか?」
「この程度の手合いなら、守りきる自信があります」
「わたし襲う前提ですか? て言うかこの程度ってどういう意味ですか?」
「二人の間には言葉にならないものが通っていた。共に激しい戦いを繰り広げたもの同士、奇妙な友情が芽生えていた。男の歌がそこにあった……」
「変なモノローグ入れないでください! て言うか、いつ激しい戦いがあったんですか!」
「じゃあ、また来る」
 優歌の全てのツッコミをスルーして、吾郎は行ってしまった。
「全く、見回りなんて言って、何しに来たんですかね」
「ああやって時々、部長に会いに来るんだ」
「未練たらたらじゃないですか!」
「振られたらしいからな」
「原因は性癖ですか?」
「詳しくは知らんが、多分そうだろうな……」
 付き合った男が極度のシスコンとは、部長って結構不幸だな、と優歌は思う。まあ昨日の言動を考えれば、そこまで同情はできないが。
「しかし、イモリ女か……」
「気になるんですか?」
「いや、まだデータが足りん」
 首を傾げる優歌を置いて、神崎は再びパソコンに向かった。




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