二 今回のは不可抗力だ その1



 大鷺高校は、最寄りの駅から歩いて五分という好立地にある。周囲は山に囲まれ、田んぼが広がっているなど、都会というには辛いものがあるが、学校があるせいか歩道などは整備されており、通いやすい環境であった。
 その歩道を、同じ制服の群れに混じって、伊東優歌は歩みを進めていた。
周囲がやたらと紺色で、少し頭がくらくらする。まあ、これにも慣れていくだろうと思ったとき、視界に異質な色が乱入してくる。
 薄いカーキのフード付きのインバネスコート。五、六メートル先を歩いている。この紺色の群れの中では浮きまくっている。間違いなく、あの人だろう。
 昨日はあまり言葉を交わさなかったが、全裸などと比しても、やや正気かどうか疑わしい言動の人物であることは確かである。朝っぱらから会いたくない。
 それに男連れだ。信じられないことに。隣で寄り添うように歩く人物は、短髪で彼女より頭一つ分高い。男と見て間違いないだろう。
 神崎のように「ひからびろ」とまでは言わないが、優歌もボク少女なんてどうかと思う。なのに、彼氏がいるのか? 顔を見たい気もするが、まだ人類が知るには早い秘密のようにも思える。
 そっとしておこう。そう思った瞬間、何の前触れもなく彼女が後ろを振り返った。
「あ、優歌くんおはよう!」
 昨日の今日で、もう名前呼びなのか。しかも「くん」と来たものだ。何にせよ、これで合流せずにはいられなくなった。追いついて挨拶をする。
「おはようございます、戸川先輩」
「あゆみでいいよ。できたら名探偵あゆみ卿で」
「はい、あゆみ先輩」
 自由創作部の面々に対しては、ペースに巻き込まれないことが肝心である。
「先輩? するとその子が……」
 隣の男子が話に入ってくる。精悍な顔つきのスポーツマンといったタイプだ。
「うん。自由創作部の新入部員の伊東優歌くん」
「そうか、君がピラニアの群れに投げ込まれた牛肉というわけか」
 スポーツマンは物騒なたとえを持ち出した。
「ぴら……ぎゅ!?」
「まあ、ゆくゆくはそうなるね」
「なるの!?」
 ピラニアの一匹に笑顔で言われ、優歌はうろたえる。
「と言うか、こちらはどなたですか?」
「申し遅れた。俺は戸川吾郎」
 戸川、ということはあゆみの血縁、多分兄か従兄か……。
「あゆみの夫だ」
「おっとー!?」
 思わず頓狂な声を上げ、周りの生徒の視線を集めてしまう。
「はっはっは、オーバーリアクションなお嬢さんだ」
「本当はお兄ちゃんだよ」
「はあ」
 赤面して、優歌はうなずいた。話によると、年子らしい。
「今のところはお兄ちゃんだが、その内に夫となる予定の男だよ」
「いやいや、血繋がってるんでしょ?」
「愛に血縁など関係ない!」
「あります、普通! 法律でも決まってますよ!」
「……法律とは厄介なものだな」
「法律の問題ではないです」
「だけど、その枠組みがないと、ボクらは悪を裁けない」
 優歌のツッコミをスルーして、あゆみは唐突に語り出した。
「そうだな。法律を的確に運用していくのが、俺たち法曹の役目だ」
「いつ法曹になったんですか……」
「うん、彼女のような被害者を二度と出さないためにも」
「悲しい事件だったな……」
「一体何の話ですか!?」
 兄妹だけに無駄に息の合った寸劇が腹立たしい。
「お兄さんの方も、自分を名探偵とか言っちゃうクチなんですか?」
「俺にそんな器量はない。名探偵はあゆみだけだ」
「はあ……」
 兄バカというか何と言うか。こうしてあの探偵気取りの人格は作られたのだろうか。
「今のはただ昨日やってた二時間ドラマの『酒と泪と男と女のミステリー 社会保険労務士・三原六輔の殺人労務相談 愛と妄執の解雇制限〜千葉―滋賀―佐賀殺人デルタ、オホーツク海に浮かぶ被保険者離職票の謎を解け〜』のラストシーンだよ」
「色々ツッコミどころはありますけど、敢えて一つだけ言うと、それ結局どこで事件が起こるんですか?」
「四国」
「よくそれ二時間で収まりましたね……」
「俺は風紀委員長だ。風紀を乱す輩を見かけたり、何かトラブルがあったりしたら、ここへ連絡するといい」
 言いながら吾郎はポケットから紙片を出して、優歌の手に渡した。ケータイの電話番号とメールアドレスが書かれている。
「はあ、ありがとうございます……」
「なに、あゆみのかわいい後輩だ。いつもの半額で承ろうではないか」
「お金取るんですか!?」
「…………冗談だよ」
 冗談に聞こえない、しぶしぶといった口調で吾郎は否定した。
「そうだ、風紀を乱す人なら、一人知ってますけど……」
「七条露子のことなら、既に我々もマークしている」
 風紀を乱す人間、ですぐに名前が出てくるとは、七条露子恐るべし、と優歌は妙なところに感心した。
「マークだけじゃなくて、更正とかもしてあげて下さい……」
「俺なりに頑張ったのだがな。年々悪化していくのだ、これがな」
「やっぱり、悪化してるんですか?」
「俺と交際していた時は、全裸じゃなかったのだが……」
「え?」
 何を間違ったと言うのだろうこの人は。
「どこが……よかったんですか……?」
「今や俺にも分からない。若さゆえの過ちか……」
「悲しい事件だったね」
「だから何なんですかそのまとめは!?」

 高校最初の授業を受けて、疲れた体を引きずりながら、優歌は部室の戸を開けた。
 中には、神崎の姿があるだけで、他の部員はまだ来ていないようだ。
「神崎先輩、お疲れ様です」
 今日もパソコンに向かう彼に軽く挨拶してみるが、返事がない。ヘッドホンをしているせいだろうか。
「神崎先輩」
 少し声を張ってみるが無反応。少し考えてから、優歌はもう一度呼びかけた。
「デッちゃん先輩」
「誰がデッちゃんだ?」
 ヘッドホンを外し、やっと優歌の方を向いた。
「聞こえてるじゃないですか」
「すまん、こっちが佳境でな」
 そう言ってパソコンの画面を指差す。
「ところで伊東」
 荷物を適当な所に置く優歌に、真面目な調子で神崎は言う。
「俺のことを二度とデッちゃんと呼ぶな」
「あ、はい……」
 やけに嫌がるな、と優歌は少し不思議に思う。
「もしまた呼んだりしたら、俺がそこの床に寝転んで手足をバタバタさせながら四歳児のように泣き叫ぶことになるぞ」
「わ、分かりました……」
 強気の脅しなのか何なのかよく分からない言葉に、優歌は苦笑する。
 やだちょっと呼んでみたい、などと思ったのは内緒にしておいた。




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