三 これでもう後に引けなくてよ? その3



 部室の中には、神崎イヅルと戸川あゆみが二人きりでいた。うわ、気まずい組み合わせだ、と思いながらも優歌は挨拶をする。
「お疲れ様ー」
「遅かったな、伊東」
「ちょっと、日誌の当番で」
 そう言い訳しながら、自分が来るまでこの二人の間にどんな会話があったのか、むしろ会話が成立していたのか、と恐ろしい想像が頭をめぐる。
「エミリ先輩がビラ配ってましたけど、お手伝いしなくてもよかったんですか?」
「え? そうなの? 神崎くん行きなよー」
 聞けば、あゆみもついさっき来たばかりだと言う。よかった、気まずい時間は五分もなかったんだね、と自分は関係ないのにほっとする優歌であった。
「見張りを頼まれてな」
「見張り?」
 オウム返しに尋ねると、神崎は回転椅子をくるりと回して振り返り、部屋の端に置かれた掃除用具入れを指差した。
「あの中に、とても外には出せない生物を監禁していてな」
 掃除用具入れには鎖が巻かれて南京錠が掛けられている。もちろん、普段そんなものはない。
「あ! ボクの探偵七つ道具! 勝手に使ったでしょ!」
 鎖のことか。それとも南京錠のことだろうか。どっちにしろ、探偵に必要な道具にはあまり見えない。どちらかというと、犯人が使いそうではあるが。
「使ったのは真倉だ」
「あ、そうなの? じゃあいいや」
 いいらしい。文芸部の二人は仲がいいということなのか、それともあゆみもエミリが怖いのだろうか。
「で、何が入ってるんですか?」
「それは……」
「待って!」
 言いかけた神崎を制して、あゆみは人差し指を立てる。
「ちっちっち。すぐに人に聞いてしまうのが、君の悪いクセだよ、優歌くん。ボクが推理して当てて見せよう」
「はあ……」
 人差し指を額にあて、瞑目して少し考えると、あゆみは目を見開き、ずばりと言った。
「分かった! ネコだ!」
「違う」
 勢い込んで突きつけられた人差し指を払って、冷静に神崎は答えた。
「むしろ、何でネコなんですか?」
「出しちゃいけないでしょ?」
「いや、だから何でそれでネコ……」
 名探偵かどうかは知らないが、少なくともあゆみの思考が常人とは違うことを、優歌は再確認した気分であった。
「もしくはサーベルタイガー」
「それ絶滅してますよね?」
「出しちゃいけないでしょ?」
「そうかもしれないですけど!」
 論理的に考える、ということは名探偵には必要ないのだろうか。
「ヒントはいるか?」
「なめるなよ!」
「惨事女など、誰がぺろぺろするか」
「ん? イルカ? まさか……」
 あゆみはぶつぶつと、「イルカ、イルカ……」と繰り返し、最早優歌には、どこからツッコんだらいいのか分からない状況であった。
 そんな彼女を尻目に、名探偵はぽんと手を打った。
「分かった! 中に閉じ込められているのは部長だ!」
「どうやったらそんな結論が出るんですか!」
「正解だ」
「しかも当たった!」
 ここ数ヶ月で一番驚いたかもしれない。
「さっき優歌ちゃんが、エミリがチラシを配ってた、って言ってたからね。最初は部長が全裸でやろうとした。それをエミリが止めて、ここに閉じ込めたんじゃないかな?」
「あー、ありありと想像できますね、それ」
 と言うかイルカ関係ないじゃないか、と優歌は心の中で呟く。
「ご明察。さすがは名探偵と言ったところだな」
 そう言いながら神崎は鍵を取り出して、掃除用具入れに近付く。
「ふふ。見直したのなら、ぺろぺろしていいんだよ?」
「その権利は君のお兄さんに譲るとしよう」
「いや、どっちでもダメですから!」
 神崎が鍵を外して鎖を解くと、掃除用具入れは中から強烈な勢いで開け放たれた。
「ぶはぁ! やっと出られた!」
 姿を現したのは、あゆみの言葉通り七条露子その人であった。今日も今日とて真っ裸で、体中に赤っぽいミミズ腫れのような模様を、いくつもねりねりと描いている。
「あ、部長。お疲れ様です」
「何平然としてんのよ! 人が苦しんでる横で楽しくクイズタイムなんてしちゃって!」
「いや、部長が閉じ込められてるなんて知りませんでしたし」
「知っとけよ!」
 無茶なセリフを吐いて、次は神崎をかっとにらむ。
「大体デッちゃんも、五十円のドーナツ一個であたしの身柄を売り渡してるんじゃないわよ!」
「誰がデッちゃんだ。俺は人道に従い、適切な処置をしただけだ」
「どこが従ってるのよ! こちとら非人道的な扱いうけてんでしょうが!」
「それに五十円ではないぞ。お釣りを四十円払った」
「あたしはうまい棒か!」
「なんだ? そんなにこのドーナツがほしいのか?」
「物より愛をよこしなさいよ! 絶え間なく! 永遠と呼べるくらいの!」
「それはできない相談だ。生憎と、全裸で外に出る人間にかける愛情など、持ち合わせていなくてな」
 きっぱりと言い切られてしまい、露子は矛先を変えた。
「大体さ、あたしがいなきゃ、誰がチラシを配るってのよ」
「いや、チラシもクマの着ぐるみ動員して、結構配れたみたいですよ?」
「は? またあの着ぐるみ?」
 また、と言うことは恐らく去年も使われたことがあるものらしい。いい加減、中の人が気になってくる優歌であった。
「あんなの出すくらいなら、やっぱりあたしがついていけばよかったわ」
「いや、その理屈はおかしい」
 神崎が眉根を寄せるが、露子は無視してまくし立てる。
「あたしとクマのどっちが魅力的だと思ってるのよ!」
「そりゃ、クマでしょ?」
 あのクマは妙に迫力があったが、全裸に変な模様の浮かんだ女よりかはマシである。
「そうだね。これならボクも、スミロドンが入ってる方がよかったな」
「あゆみちゃん……」
 悪気のない表情から放たれる辛辣な言葉に、露子は肩を落とした。
「残念だが、これが紛れもない現実だ」
「……悲しい、事件だったね」
「まとめるなー!」
 拳をぶんぶん振って、露子は怒鳴る。そしてがっくりとうなだれ、大きく息をついた。
「あー、もう! これも全部、あの性悪ウシ乳女のせいよ」
「あら、誰のことかしら?」
「え? そりゃもちろんエミリよ。色気もくびれもないのに無駄にでかいち……ち」
 言いかけて、露子は見る見る青ざめた。そして、固まったように動かなくなる。
 いつの間にか、真倉エミリその人が眼前に現れ、微笑んでいたのである。
「……いつからいた?」
「ずっと。サーベルタイガーの辺りかしら」
 わたしに対する興味深い意見が聞けそうだったから隠れていたの、とエミリは口角を吊り上げた。
「へ、へー……。それで、聞けた?」
 上ずった声で露子は問い返す。目が右往左往している。
「ええ。面白いこと言うわね、部長さんは」
「違うの! これは、そう、東インド会社が……!」
「わたし、性悪ウシ乳女だから、分からないわ」
「分からないなら仕方ないな」
「うん、仕方ないね」
「そうですね、仕方ないですね」
 外野はとりあえず、いつものように露子を見捨てることにしたらしい。優歌もとりあえず同意しておいた。
「ちょ、あんたら乗っかってんじゃないわよ!」
「いいから」
 右腕をがっちり掴むと、エミリは露子に顔を近づけて言った。
「服を着てきなさいな。誠意ある話し合いをしましょうね」
 がくがくと、露子もうなずくしかなかった。



「それで、頼みたいことなんだけれど」
 服を着た露子の手を引いて、エミリは部室を出て行った。それからきっかり五分後、一人で戻ってくると、何事もなかったかのようにソファーに座り、向かいに優歌を座らせてこう切り出した。
「あの、部長はどこに行っちゃったんですか……?」
 出て行った後、やたらと犬の吠える声が聞こえたような気がする。
「嘆きの谷かしら?」
 事も無げにエミリは言う。その笑みが、どこか空恐ろしい。
「……そんなことより頼みたいこと、ですよね」
 具体的にそれがどこを指すのかは気になるが、深く追求するのはやめておこう。藪をつついて蛇を出す羽目になりそうだと優歌には思えた。
「そうよ。そちらが本題よ」
 元のやわらかい微笑みに戻って、エミリは続ける。
「わたしとあゆみちゃんを手伝ってほしいの」
 大鷺高校の近所にある市立図書館で、文芸部のOGが司書として働いており、エミリとあゆみは、時折彼女を手伝っているのだという。
「新入部員が入ったって言ったら、一回連れて来てって」
 あゆみも横から口を挟む。
「いいですけど、お手伝いって具体的には何を?」
「返却されてきた本の整理とか、棚に戻したりとかだね」
「あと、今日は『お話タイム』があるわ」
 月に何度か、近所の幼稚園児や小学生を集めて、紙芝居や絵本の読み聞かせをしているのだと言う。
「へー、素適ですね」
 よもやこんな真っ当な活動をしているとは思わなかった。こういう活動を前面に押し出していけば、もっとまともな新入部員がやってくるのではないか、とふと思った。
「やってみる? 絵本の読み聞かせ」
「あー、でもわたしそういうのはあまり……」
「ならいいわ。今日は面通しと、あとは後ろで見ていてくれたら」
「……すいません」
「謝ることはないわ」
「ちょっと急だったしね」
 そろそろ行こうかしら、とエミリが立ち上がり、優歌もそれに続いた。その彼女の肩を、神崎が叩く。
「な、何ですか?」
「これを持っていけ」
 彼が差し出したのは、のど飴であった。
「はあ?」
「きっと喉が辛くなる。持って行って損はないはずだ」
 ありがとうございます、と一応言って飴を手に取った。
「何があっても、心を強く持つんだ」
「はあ……」
 さっきから何を言っているのかよく分からない。妙に真剣な表情なのも謎である。
「何、君ならツッコミきれるさ」
「え!?」
 それを期待されるような事態が起こるのか、と背筋が寒くなった。





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