四 ラノベかあ……、読みはしねえなあ その1


 その日の放課後も、優歌は部室へ向かった。
 大鷺祭、即ち文化祭の準備などがない限りは、取り立てて毎日来る必要はない、とエミリには言われていたが、つい足が向いてしまう。
「お疲れ様です……」
 部室のドアを開けると、神崎イヅルと見慣れない男子生徒が談笑していた。二人以外には誰もいない。まだ来ていないのか、今日は来るつもりがないのか。
 革張りのソファーに腰掛けた彼は、身長はそれほどでもないが肩幅は広くがっちりとした体格で、およそ自由創作部には似つかわしくない青年であった。特に、話し相手の神崎とは対極の印象で、どういう関係なのだろうと優歌は首を傾げる。
「だから、アイドルってのは三次元であって、三次元じゃねえんだ。言うなれば二.五次元ってヤツよ」
「四捨五入すれば三次元、つまりは惨事ではないか」
「違うね! アイドルは妖精さんなんだよ!」
 ああ絶対この人神崎先輩の友達だ。熱く議論を交わす二人の会話から、優歌は状況を把握した。同時に溜息が出る。どうしてここにはこういう変人か変態しか集まってこないのだろうか。
「あのぅ……」
 そこでようやく二人は優歌に気がついたのか、彼女の方に顔を向ける。
「む、伊東か」
「おう、優歌ちゃん」
 見知らぬ男子に気安くそう呼びかけられ、優歌は驚いた。
「え? あの、どこかでお会いしましたっけ……?」
「何言ってんだよ、冷てぇなあ」
「それが三次元の女というものだ」
 派手に嘆いてみせる友人に、しみじみとした口調で神崎は言った。
「ほら、この間部員募集のチラシ配ってた……」
「え?」
 チラシと言うと、一昨日エミリが露子を掃除用具入れに閉じ込めて配っていたが、確かあの時は……。
「ああ! クマの中の人!」
「中の人などいない」
「いや、いるよ! ここにいるよ!」
 すかさず入ってきた神崎に、自分の存在を主張する。いちいちリアクションの大きな人だ、と優歌は呆れたような感想を持った。
「中の人、と言われるとついそう言ってしまうのだ」
「まあ、イヅルったらいけない人」
 はっはっは、と笑いあう男子二人に、優歌は置いていかれたような気分になる。
「自己紹介が遅れたな。俺は二年の松代正樹。大体のヤツはマッツって呼ぶぜ」
「あ、伊東優歌です。よろしくお願いします」
 挨拶して、この人は部員なんだろうか、と疑問に思った。部室にいるし、そうなんだろう。いやでも、吾郎さんも部員じゃないのに来るしな。それに、初日の時に優歌が入らないと四人で廃部とも言っていたような……。
「マッツは元ワンダーフォーゲル部の部員だ」
 優歌の疑念を読み取ったかのように、神崎が説明する。
「唯一の生き残りってヤツだな」
「え? でもワンゲルってエミリ先輩に追い出されたんじゃ……」
「エミリさんが駆逐したのは、元部長だけだぜ」
 汗臭い、声がでかい、ヒゲが嫌、生理的に受け付けない、生まれる前から敵でした。そう言われたのは部長だけだったのか。
「それにしても駆逐って、えらい言いようですね」
 相手がエミリだし、適切な気もするが。
「あの男は部室で狼藉を働こうとしてな。追い出さねば間違いが起きていたかもしれん」
「そうなんですか!?」
 エミリ先輩に迫るとは、何て悪趣味、もとい命知らずな。
「いや、真倉じゃない」
「ノーガードの人がいたらなあ……」
「あ、部長だったんですね」
 当時から全裸だったらしい。いや、去年だから下は着けていたのか。そう聞くと、ワンゲル部部長が少し可哀想になった。まさか合併先のクラブに、全裸の女子がいるとは思うまい。
「三次元に欲情するからこういうことになるんだ」 
「神崎先輩って、まるでそれが異常みたいに言いますよね……」
「俺は自分の正気を疑わないからな」
 少しは顧みて欲しい。そう思うのは彼にほだされたのだろうか、と優歌は複雑な気分であった。
「それで、他の部員は誰に追い出されたんですか?」
 もやもやを振り払うために、優歌は話題を進めた。
「パソ研の元部長だ。かなりできる人だった」
「何か言葉攻めでもしたんですか?」
「いや、残った三人に恋愛シュミレーションゲームをやらせた」
「何故に!?」
「みんな男だったからな。ワンゲル元部長のような間違いが起きぬよう、俺のように三次元に懸想しない、精神が浄化された存在を目指して、布教を行なったのだ」
「危ない新興宗教みたいになってますよ!」
 どちらかと言うと、去勢したかのように聞こえる。
「全員見事にはまった。だが、予想以上のことが起きてな」
 松代を除く二人の部員ははまり方が激しく、遂に引き篭もってゲームをするようになってしまったらしい。
「素養があったようでな。あそこまで極端に走ると笑いがこみ上げてくる」
「いやいや! 人の人生壊してるじゃないですか!」
「他人の不幸で飯がうまい、ってヤツだぜ」
「松代先輩もそうなってた可能性があるのに、よく笑ってられますね……」
「俺はならねえよ。昔からやってたし」
「それ威張るとこですか!?」
「こうして、マッツという素晴らしい人材を確保することもできたわけだ。犠牲になったワンゲル部員たちも、草葉の陰で喜んでいることだろう」
「死んでませんから!」
 とは言え社会的には死んだだろうな特に部長は、などと思う優歌であった。
「にしてもよ、優歌ちゃん」
「はい?」
「松代先輩ってのはやめてくれよ。むず痒くって、尻の座りが悪りぃ。気軽にマッツ先輩って呼んでくれや」
「え、でも……」
 ちらり、と優歌は神崎の顔をうかがう。
「マッツは、あだ名で呼ばれすぎて元の苗字を忘れられた男だ。俺ですら今日、本人が伊東に自己紹介するまで、松ヶ崎という苗字だということを忘れていたぐらいだ」
「松代だよ、イヅル……」
 もう忘れたのか、わざとなのか判然としない。
「ともかく町村のことは、担任すらマッツと呼んでいるほど。お前もそちらに切り替えてやってくれ」
「松代ね、マ、ツ、シ、ロ」
 律儀にこう訂正を入れられると、苗字で呼ばなくてはいけないような気もしてくるが。
「じゃ、じゃあ……マッツ先輩」
「くはぁあっ! いいねぇ!」
 松代はソファーに寝転んで、ばたばたと身悶えた。
「クラブの試合中に応援する感じで言ってくれ!」
「マッツ先輩!」
「ぬうぅおおおっ! じゃあ、足を捻挫したのを心配する感じで!」
「マッツ先輩!?」
「ふぅはあぁっ! じゃあ、その捻挫が演技だった時の感じで!」
「マッツ先輩……」
 ひとしきりリクエストに応えてから、優歌はふと思った。
「これって伝わってるんですかね?」
「本人は満足そうだがな」
 ソファーの上をごろごろとする松代を見ながら、神崎は言う。
「しかしマッツよ、そんな身悶えてる場合か? 折角女子が来たんだ、相談に乗ってもらえ」
「おお、そうだ!」
 がばりと身を起こし、松代はまあ座ってくれと自分の隣を優歌に勧める。
「な、なんですか?」
「その、あれだよ、あれ……」
 隣に座った優歌に問われて、彼はどぎまぎとなった。
「恋愛相談だ」
 神崎がぴしゃりと言った。
「そんなはっきり言うなよ!」
 そのまま任せておくと話が進まん、と神崎は肩をすくめる。
「伊東も入って来た時に、聞こえていたんじゃないか?」
「いえ、アイドルがどうのとかそういう話しか……」
「そうだ、優歌ちゃん聞いてくれよ! イヅルのヤツ、アイドルも……」
「その話題はいい」
神崎は松代の発言を遮った。
「お前の相談だぞ? 話を逸らしてどうする?」
「うぅ……だって、照れるじゃねぇか……」
 松代は体を窮屈に縮めて、もじもじとした。体格がいいせいか、どことなく気持ち悪い。
「コイバナと聞いて!」
「帰れ」
 そう言いながらドアを開けて入って来たのは、露子であった。しかし、それを視認するや否や素早く松代が動き、外に彼女を残したままドアを閉めた。
「こらマッツ! 人が折角相談に乗ってあげようってのに、好意を無にする気……?」
「俺が好きなのは、年中裸の女子が、その心を分かるような子じゃねえんだよ……!」
 ドアを挟んで押し合いながらにらみ合う二人。
「あの二人、仲悪いんですか?」
「いや、相性の問題だろう」
「マッツ先輩、その人こんなのでも部長なので、入れてあげてください」
「優歌ちゃんがそう言うなら」
 パッとドアから離れたせいで、露子はたたらを踏んだ。
「あっさり後輩の言うこと、聞いてんじゃないわよ!」
 体勢を立て直し、人差し指を松代に突きつけて、露子はがなる。
「デッちゃんも、あたしの予備ロッカー勝手に後輩に割り当てるしさ」
 ぶつぶつ言いながら、露子は服を脱ぎ始めた。
「誰がデッちゃんだ。俺は公式設定を大事にする男、予備ロッカーなどというお前の脳内設定や二次設定など知ったことか」
「……って、ストーップ!」
 ブレザーを脱ぎ、シャツのボタンに手をかけたところで、優歌は待ったをかけた。
「何やってんですか! マッツ先輩もいるんですよ!」
「そいつは心外だぜ、優歌ちゃん」
 何故か松代が顔をしかめる。
「例えば優歌ちゃんが動物園に行って、サル山のサルを見たとしようじゃねえか。そのサルを見て、キャー、裸! とか思うか?」
「いや、あの……」
「思わねえだろ。俺にとっては、それと一緒だ」
「キーッ! 誰がメスザルよ!」
 金切り声を上げた露子は、既に全部脱いでおり、その速さに優歌は驚いた。
「人間なら服を着てるはずだぜ」
「文明人気取りは、いつもそうやって人を見下すだけなんだから! 恥を知りなさい!」
「あんたこそ、毎回毎回ありがたみのねぇ全裸さらしやがって! 女子としての恥じらいはねえのか!?」
 ソファーを挟んで、火花を散らす二人。いいぞもっと言えマッツ先輩、と優歌は心の中で応援する。
「やめろ。これ以上の議論は不毛だ」
 神崎が文字通り間に入った。
「ともかくマッツ、話してみてくれ。『一応』、女子が二人に増えたのだし、俺たち二人の時よりも、実のある相談となるだろう」
 一応、を神崎は殊更強調した。
「言われてるぞ、優歌ちゃん」
 露子に肘でつつかれて、優歌はイラッとした。
「なんですか、一応ホモ・サピエンスのメスの四十九条部長」
「な、何であんたそのあだ名を! さてはエミリね!」
 歯噛みする露子を尻目に、松代は優歌の隣に戻ってきて話し始めた。





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