四 ラノベかあ……、読みはしねえなあ その3


 優歌は松代を伴って、学校近くの図書館へと向かった。聞けば、松代も大鷺高校の近くに住んでいるらしい。
「部長も近くに住んでる、って言ってましたけど」
 いつぞやイモリ女騒ぎの時に、一緒に帰ろうと言ったものの、彼女の家は優歌の利用している最寄りの駅とは逆方向だったので、結局校門の前で別れることになったのであった。
「全裸部長の家、この近くじゃ有名な金持ちだぜ」
「え? そうなんですか!?」
「何か、この辺りの山を三つ四つ持ってるらしい」
 優歌は、三方をぐるりと囲んだ山々を見渡す。お嬢さまなんだろうか、全裸なのに。どちらかと言えばエミリ先輩の方がお嬢さまっぽいのにな。
 ファミレスを横目に、フェンスに囲まれた駐車場を行き過ぎると、白い建物が見えてきた。その辺りから、こちらに向かって歩いてくる影がある。見知った顔であった。
「あ、エミリ先輩」
「あら、珍しい取り合わせね」
 学校から直接きたのだろう、ブレザー姿で通学鞄を提げている。部室に顔を出さないと思ったら、こんな所にいたのか。
「あ、そうだ! エミリ先輩、話が違うじゃないですか!」
 そう言いながら、優歌は松代を手で示す。
「部員五人いるじゃないですか! わたしに『四人しかいないから廃部になっちゃう』なんて言っといて!」
「あら、そんなこと言ったかしら?」
 笑顔でエミリは首を傾げた。
「言いましたよ……。あゆみ先輩と小芝居までして」
「それで入部して、後悔してる?」
「え、それは……」
 どうなんだろうか。確かに疲れることもあるが、こうして毎日部室に部室へ顔を出すほどには、楽しいことは否定できない。
「エミリさんは読書ッスか?」
 口ごもる優歌をよそに、松代が話を振った。年上の露子にはけんか腰のタメ口をきいていた彼は、同い年の彼女にはやや丁寧であった。何となくそうする気持ちは分かる、と優歌は思う。
「ええ。マッツくんは、わたしの課題図書を読み終わったかしら?」
「あと三ページッス!」
 いつ薦められたのか、何ページあるのかは知らないが、そんな絵本も何回かに分けないと読めないのかこの人は、と優歌は戦慄する。
「て言うか、何でそんな絵本を薦めたんですか?」
「想像してみて、そういう小さい子向けの絵本を高校生の男の子が必死に読んでる姿」
 言われて優歌はその様を思い浮かべてみるが、気持ち悪いという感想しか出てこない。
 目の前のエミリはきらきらした笑顔でこちらを見ている。何か、彼女なりの考えやこだわりがあるのだろうか。
「……ほ、微笑ましい、ですか?」
「滑稽で笑えるでしょ」
 とても幸福そうに言うエミリに、優歌はげんなりとした。
「やっぱり性質悪いですね先輩……」
「エミリさんに笑顔をプレゼントできるなんて、俺感激ッス!」
「まあ、嬉しいこと言ってくれるわね」
「いいんですか、マッツ先輩はそれで!?」
 どういう関係なんだろうか、この二人は。
「ところで、二人で来たのはどうしてかしら?」
「ああ、マッツ先輩の恋愛相談で……」
 優歌は経緯を簡単に説明する。
「……ふうん。あの前髪をきっちり切り揃えた子ね」
「知ってるんスか、エミリさん!」
 勢い込む松代に、エミリは冷静に答えた。
「あの子、よく来ているようね。今日も見かけたわ」
 いつも小説コーナー近くの机に座って、本を読んでいるのだという。
「何の本か分かります?」
「アニメのような絵の表紙が多いわね。ライトノベル、というのかしら」
 優歌には聞きなれないジャンルであった。神崎が前にそんなような単語を口走っていたような気もする。
「マッツ先輩もそういうの読んで、お近づきになるっていうのはどうですか?」
「ラノベかあ……、読みはしねえなあ。アニメになったら見るけど」
「もしストーリーを知っているものだったら、話を合わせられるかもしれないわね」
 じゃあわたしはこれで、と言ってエミリは優歌と松代の隣を行き過ぎる。
「あれ? 行っちゃうんですか?」
「マッツくんが誰を好きになろうと、自由だから」
「はい?」
「わたしは変わらず友達でいてあげる」
「話が見えないんですけど……」
「でも、願わくはわたしを巻き込まないでほしいの」
「あの、エミリ先輩何が言いたいんですか?」
「がんばりなさい」
 それだけ言い捨てて、エミリは逃げるように走っていった。
「ちょ、先輩! つーか速ッ!」
 おっとりした見た目からは想像も付かない速度であった。
「さすがエミリさんだ、いいこと言うぜ!」
 松代は目に涙すら浮かべていて、優歌は何故だかどっと疲れたような気になる。
「今のどこに泣ける要素があったんですか……」
 別の意味ではあったかもしれないが。とにかく今は中へ向かうことにした。



「ほら、あの子だ」
 本棚の陰に隠れた松代が、窓際の席に腰掛けて本を読む、黒髪の少女を指した。
「確かに結構かわいい感じですね」
 同じように身を隠しながら優歌はうなずく。かえって目立ってしまっているような気もするが、松代本人が必死なので口に出しにくい。
 松代の指した少女は、優歌の言葉通り、可愛らしい顔立ちをしていた。眉の辺りでぱっつんと切り揃えられた前髪と、長い黒髪が日本人形を思わせる。白いブラウスに包まれた腕は遠めにも細く、小づくりで華奢な印象だ。
「ただ、清楚って言うよりは不思議ちゃんな感じじゃないですか?」
「いやまあ、その辺は全裸部長と比べてってことだから」
 松代は弁解するように言った。
「で、どうするんです?」
 声掛けますか、と尋ねると松代はぶんぶんと首を横に振った。
「早すぎるって。どんな話題振ったらいいか、まだわかんねえじゃん」
 彼女の座る机から、優歌たちの隠れている本棚まで、結構な距離がある。エミリの助言に従おうにも、彼女が手にとっている本のタイトルも読めない。
「先に情報収集だろ? 戦いはいつも顔と情報で決まる、優歌ちゃんが言ったんじゃねえか」
「顔とまで言った覚えはないですけど……。パッと行って見てきましょうか?」
「おい、お前ら」
 小声で相談する二人の背後から、声を掛けてくるものがあった。思わず飛び上がって振り向くと、司書の土井が立っていた。
「図書館では私語厳禁って習わなかった?」
「す、すいません」
「土井の姉さん、あそこに座ってる女の子なんスけど、常連さんっしょ?」
「あ、そうか! どういう人か、教えていただけませんか?」
「司書道大原則ひとーつ!」
 優歌たちの問いかけに、さっきまでの優歌たちの相談よりもよっぽど大きな声で、土井は怒鳴り返した。
「司書は、利用者の個人情報を他者に知らせてはいけない!」
 ふんぞり返って腕組みをする。言ってやった、とどことなく満足そうだ。
 そんな彼女の肩を、通りがかった利用客と思しき老人が叩く。
「お姉ちゃん、うるさいよ」
 申し訳ありません、とバツ悪げに謝ると土井は二人に、奥に来なと口の動きで言った。



 書庫の中では、戸川あゆみが忙しく動き回っていた。
「あゆみ先輩、今日もお手伝いですか?」
「うん。今日は個人的に、ね」
 前回のはクラブとしてだったようだ。弟子という事で、体よく使われているのかもしれない。
「で、何であの子のこと知りたいの?」
 松代は事情を説明した。あゆみも手を止めて聞いている。
「いいねー、青春だねー、甘酸っぱいねー!」
 おばちゃんのようなことを、さも面白くって仕方ないという顔で土井は言った。
「甘酸っぱいかどうかは分かりませんけど、何かアドバイスもらえませんか?」
「突撃して玉砕しろ」
「無策!?」
「粉砕! 玉砕! 大喝采!」
「兵に死ねと言うンスか……」
「そんなん高校生の恋愛に駆け引きなんて無用! 若いうちは迷わず行けよ。行けば分かるさね」
「野川先生と同じようなこと言いますね……」
 始業式に言われたことを優歌は思い出した。クラブを決めることと、見知らぬ異性に声を掛けることは似ているのかもしれない。
「優歌ちゃん、このおばちゃん頼りになんねえよ」
「誰がおばちゃんだ! 私まだ二十八だし!」
「マッツくん、おばちゃんにおばちゃんって言っちゃダメだよ」
「あゆみ……」
 悪気のない弟子の一言に、師匠は一番傷ついたようであった。
「じゃあ、ガキだけでやんな。あゆみ、ここいいから、おばちゃんの代わりにこの子ら手伝ってやって」
「分かったよ師匠」
 あゆみは元気に返事をすると、優歌たちに向き直った。
「ボクの推理が正しければ」
「今までのどこに推理する部分があったんですか?」
「その子、『蒼刃のセレナーデ』というライトノベルを読んでるね」
 優歌の言葉を無視して、あゆみは続ける。
「エミリの話によると、よくラノベを読んでいるんでしょ? 今日ボクが来てから今まで返却されたラノベは二十冊、七シリーズあるけど、その中で女の子も読みそうなのは九冊、三シリーズしかない。それ以外のは『妹』だのなんだの、男の子向けなんだ」
「そこからどうやって絞り込んだんですか?」
 「妹」と聞くと、どうしても彼女の兄を思い出してしまう優歌であったが、イメージを振り払って説明を促す。
「この図書館は一人で一度に六冊まで借りられてね、続き物を連続で借りていくお客さんが多いんだ。女の子も読みそうな三シリーズのうち、『蒼刃のセレナーデ』以外の二シリーズは一巻から借りられている。
 でも『蒼刃のセレナーデ』は二巻から四巻までの三冊が返却された。その子がよくここで本を読んでいるという事実を合わせて考えたら、一巻は図書館の中で読んで、後の三冊を借りて帰っていたと考えられない?」
「おお、さすがあゆみちゃんだぜ」
 感心する松代の横で、優歌はかなり驚いていた。
 あゆみはただの探偵気取りで、言っては悪いが頭はそんなによくないと思っていた。それが、きっちり推理らしいことをしてくるとは……。そう言えばイモリ女の時も、ちゃんと自分で真相にたどり着いていた。名探偵、とまではいかないだろうが、意外といい線行ってるんじゃないだろうか。
「じゃあ、今はその『蒼刃のセレナーデ』の五巻を読んでるんですね」
「ううん。あれ四巻で完結したから」
「……さっきまでの推理はなんだったんですか?」
「悲しい、事件だったね」
「それで全部誤魔化せると思わないで下さいよ!?」
 前言撤回。やっぱりただの探偵気取りだ。
「さて、ボクの推理力に感服していただいたところで」
「感服というか、別のところにびっくりしましたよ……」
「次は名探偵の調査力をお見せしよう」
 都合の悪いツッコミを無視するのも、彼女の言うところの名探偵の能力なのかもしれない、と優歌は思った。



 その頃、自由創作部の部室にはエミリが姿を見せていた。
 いつもよりも随分と遅れて現れた彼女に、神崎は尋ねた。
「どうした? 何かあったか?」
「ちょっと図書館に寄ってたのよ。今日は部室に来るつもりはなかったのだけど」
 途中で優歌ちゃんとマッツくんに会ったから、とエミリは付け加えた。
「マッツの話は聞いたか?」
「ええ。でもあの子が好きだって言う女の子なんだけれど……」
 珍しく言いよどむエミリに、神崎は眉をひそめた。
「何か問題でもあるのか?」
「それがね……」
 エミリの挙げた名に、神崎は顔をしかめる。これもまた珍しいことであった。
「……あいつ、去年のことを知らないのか?」
「そのようね。クラスの中の評判って、意外と伝わりにくいものなのかもしれないわ」
 エミリはちらりとソファーの奥にうずくまるものに目を向けた。
「全裸で校舎を歩き回ったりしない限りは」
 それはそうだな、と神崎は肩をすくめて見せた。
「真倉も止めてやれよ」
「忘れた? わたしは面白い方の味方よ」
「つまり、そのまま行かせた方が面白いと」
 エミリは何も言わずに微笑んだ。
「確かにそうかもしれんな」
 微笑みを肯定と受け取って、神崎はしたり顔でうなずいた。
「図書館にはあゆみちゃんもいるし、何とかなるでしょう」
「伊東もついているしな」
「あら、あの子の手に負えるかしら?」
「あいつのツッコミ力なら大丈夫だ」
 今度はエミリがそれもそうね、と言う番であった。言ってから、じろりと横目で神崎の顔を見る。
「えらく期待しているのね、あの子に」
 あなたが三次元の女子に興味を持つなんて、とエミリはからかうような口調で言う。
「新入部員だ、期待もするさ」
 君もそうだろう、と問い返されてエミリは、どうかしらねと首を傾げる。
「わたしが新入部員なんていらないと言ったのは忘れてしまって?」
「無論忘れていない。だが、その割にこの間は『お話タイム』に伊東を連れて行ったじゃないか。戸川と二人きりでやりたいと、去年は言っていたというのに」
「気まぐれよ、気まぐれ。あんな平凡な子に、期待なんかしていないのだから」
 平凡か。ぽつりとそう繰り返して、神崎はエミリの瞳を見返した。
「……そうか、ツンデレだな」
 ツンデレ乙、と敬礼する神崎に、エミリは笑って言い返す。
「デレはまだまだ、先にとっていてよ?」
 話す二人を尻目に、ソファーの向こうでは、露子がまだ膝小僧を抱え「昆虫じゃないもん……」とつぶやき続けていた。





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