五 来世でまた会おう その3


 クラブボックスの裏に、自由創作部の面々と朝霧火愛魅火は降りてきていた。
「さて、みなさん。これより第一回『クーゲルシュライバトル』を始めようと思います。審判と実況は、『自由創作部第六の戦士』ピンクベアーこと松代正樹、解説は『全裸で何でもできる程度の能力』でおなじみの、七条露子部長です」
「何の騒ぎよ、これ。しかもあたしにこんな布まで被せてさ」
 ずっと三角座りをしていたせいで、全く状況についてきていない露子は、どこにあったのかシーツのような大き目の白い布を頭から被っていた。
 このクラブボックスは、文化部が主に使っている建物であるが、人数の関係などで、体育系の一部のクラブも使用していた。そういうクラブが準備体操をしたり、時には男子生徒がこっそり着替えたりしているスペースだが、今の時間は人通りもない。
 それでも全裸の露子に布を被せたのは、松代の良心であろうか。
「今回のカードは『異世界から来た破壊者の剣』朝霧氷愛魅火と、『普通の女子高生』伊東優歌の一戦」
 露子を無視して、松代は進行に務めた。 「ちょ、質問に答えなさいよ。何がはじまるって言うのよ」
 一人盛り上がる実況と、状況に置いてきぼりなのに任された解説、それを尻目に優歌は氷愛魅火と相対する。背後にはエミリが控えている。
 すごくバカバカしいことに巻き込まれているような気がして、というか正にその通りなのだが、今一つ乗り切れていなかった。
「アクト2回、フリーエントリー、1オプションバトル!」
「アクト2回、フリーエントリー、1オプションバトル!」
 松代が高らかに叫んだ意味不明の一文を、氷愛魅火も負けないくらいの声で復唱する。
「ほら、優歌ちゃんも復唱して!」
 松代に促され、優歌も何だか分からないままに口にする。
「元気がないぞ!」
 ああもう鬱陶しい。デパート屋上のヒーローショーか。
「アクト2回! フリーエントリー! 1オプションバトル!」
 やけくそ気味に声を張り上げた。
「よかった、優歌ちゃんにやらせて」
 背後のエミリの呟きが耳に入る。聞こえてますよ、と言おうとしてわざと聞かせたことに気が付く。
「合意と見てよろしいですね?」
 してないと言えば回避できるんだろうか。思わず言いかけたが、その隙も与えずに松代は続ける。
「それでは、『クーゲルシュライバトル』! レディー!」
 羽織っていたブレザーを脱ぎ、両手を高く突き上げて叫ぶ。
「ゴーッ!!」
「ファーストエントリー!」
 松代の雄たけびから間髪入れず、氷愛魅火は宣言する。
「おーっと、ファーストエントリー入った! これは初心者との差が出たか!」
「玄人好みの手ね」
「え? ちょ、部長、何しれっと分かったような顔してるんですか!」
 とりあえず、分からないなりに乗っかる方向にしたらしい。如何にも黒か白なら、全裸を選ぶ人間の思考だ。事の善悪や是非より面白い方を選ぶ。
「優歌ちゃん、こっちに気を取られてていいのか? もうバトルは始まってるぜ?」
 チッチッチ、と人差し指を振って、松代は言った。
 氷愛魅火に向き直ると、彼女は体の左側を優歌の方に向け、刀の柄を顔の横に構え、切っ先を突きつけてきていた。右目は何故かつぶっている。
「これは、BD第二巻のパッケージの構え!」
「ブルーレイの表紙から持ってくるマニアックさが秘訣ってわけね」
 それが一体なんだと言うのだろうか。呆気に取られる優歌を尻目に、氷愛魅火は得意げに続ける。
「先に説明しておく」
「来たー! 先に説明しておく! これは原作の斬嶋観月もよく使う戦法だ!」
「私の能力は物体の温度を操ること。温度を上げることも、下げることも可能だ。故にこの力は『熱寒(あっさむ)』と呼ばれる。どうしてこんなことをわざわざ教えるのか、分からないといった顔だな」
 と言うか、優歌には競技のルールも分からないのだが。
「それは知られたとしても、絶対に防ぐことができないからだ!」
「決まったー! これで構えと説明二つ合わせて、7クーゲル!」
「これは初手から大きなアドバンテージね」
 何がなんだか分からない。氷愛魅火は、BD二巻表紙のポーズとやらのまま止まっているし。
「ほら、優歌ちゃん! 次優歌ちゃんの番!」
「え? わたし?」
 手番制だったのか。何かもっとこうアクティブなものかと思っていた。それにしても、相手の番が来るまで棒立ちって、何かひどくないか。
 優歌は救いを求めるように、エミリの方を振り返った。
「とりあえず、クーゲルとやらを溜めなさい」
「どうやったら溜まるんですか?」
「ポーズ」
 無茶を言うな。その『クーゲルシュライバー』なんて、優歌は全く知らないのだ。
「伊東優歌どうした? 動かないぞ」
「これは序盤から大技が飛び出す予感ね」
「あんたは気楽でいいな、チクショー」
 適当なことを言ってハードルを上げてくる露子を、優歌はにらんだ。
「えーと……」
「とりあえず、何か格好いいと思うようなポーズをしてみたら?」
 エミリがそう言って、更にやりにくくなる。妙な事はできない。万が一笑われたら、そんなセンスなのかと思われてしまう。
「ほらほら、早くしなさいよ」
 趣旨が変わってきている気がする。ただの新人いびりじゃないか。
 ええい、ままよ。もし笑われたりしたら、「先輩のセンスがおかしいんです」と開き直ることにしよう。この数週間で、心が強くなった優歌であった。
「え、えい!」
 足を肩幅に開いて、左手を握って腰に当て、右の拳を思い切り天へ突き上げた。
 かなり恥ずかしい。しかし覆水盆に返らず、やってしまったことは取り消せない。ポーズをとったまま、優歌は横目で松代の反応をうかがった。
「くっはー! いいねいいねいいね!」
 松代は奇声を上げて身悶えている。身悶えたいのはこっちだ、と思いつつも好感触そうで、胸を撫で下ろす。
「恥じらいながらやってるのがいい! 70モエポイント!」
「クーゲルは!?」
 いつの間にか単位が変わっていた。
「あ、それは2クーゲルで」
 低い。松代個人には受けたが、競技的には大したことなかったようだ。当たり前か。ネタをばらせば、優歌が中学生の時にやった体育祭の応援合戦での決めのポーズだし。
「2クーゲルでもやりすぎじゃない? あんな毒にも薬にもネタにもならないポーズ」
「まあ、あんたがやったら一発退場だったけどな、この世から」
「はあ? あたしのセクシーポーズなら7000モエポイントは固いって!」
「とりあえず、優歌ちゃん時間を使いすぎたから、朝霧のラウンドに移るぜ」
「ちょ、無視しないでよ! 悲しくなるじゃない!」
 露子の抗議を受け流して、松代は氷愛魅火を促した。
「ふん、動かないでおいたぞ」
 優歌のラウンド中ずっと、律儀にBD二巻のポーズで静止していた氷愛魅火は挑発するように鼻を鳴らした。
「しかし、何ともお粗末な……。このラウンドで終わらせてやる!」
 そう高らかに宣言すると、氷愛魅火は『菊ギガ文字』を鞘に収め、左の腰に当てた。右手は柄を握り締め、その双眸は優歌を見据えている。
「おおーっと、これは大技の予感! 技に移行する前の構えという事で、3クーゲルを進呈!」
「え、それずるくないですか!?」
「ふん、隙だらけだぞ!」
「相手の隙を指摘したー! この紳士的プレイに、更に2クーゲルをプラス!」
「ごりごり上がっていくわね」
 本当に飲み込めないルールだ。更に抗議しようとした優歌に、氷愛魅火が突進してくる。
「くらえ! 奥義! 聖帝瞬炎煉獄殺!」
 咆哮と同時に氷愛魅火は刀を抜き放って横に薙いだ。優歌は思わず、後ずさってそれを避ける。模造刀とは言え、人に向かって振り回すなんて! と至極もっともな抗議を心の中で叫ぶ。
 一方、氷愛魅火は抜き放った刀を鞘に収めるのにもたついていた。鞘を見ずに入れようとして何度か失敗しつつも、ようやく鞘に収めて優歌に背中を向けた。
「来世でまた会おう」
「決まったー! 奥義・聖帝瞬炎煉獄殺! 相手は死ぬ! 周囲の温度を急激に上げてメルトダウンにまで到達させ、対象を消滅させる大技だーっ!」
 決めポーズらしきものをとる氷愛魅火と、一人盛り上がる松代。これは一体どういう事なんだろうか。優歌は置いてきぼりにされた気分であった。
「あの、これって一体、なんなんですか?」
 優歌が何気なく口にした一言で、場の空気が一変した。
「な、何! 貴様、今の一撃が効いていないというのか!」
「これは意外な展開! 『普通の女子高生』伊東優歌、奥義を無効化したー!」
 振り返って驚愕の表情を浮かべる氷愛魅火と、やっぱり盛り上がる松代。ますます分からない。優歌は首を傾げた。
「カウンターエントリー! 『奥義無効』! 朝霧氷愛魅火にマイナス5クーゲル、伊東優歌にプラス8クーゲルを進呈!」
「一気に優歌ちゃんのクーゲルが上がったわね。反撃のチャンスよ」
 そう言われても、と優歌はエミリの方を振り返った。
「はい、これが中村美咲のデータ」
「ありがとう、あゆみちゃん」
「あゆみ先輩、いつの間に!?」
 優歌に名前を呼ばれて、コートに帽子の彼女は「やあ!」と右手を挙げた。
「優歌くん、部長の言うようにこれはチャンスだよ!」
「折りよく逆転の呪文も届いたわ」
 はいこれ、とエミリは優歌に一片の折りたたまれた紙を手渡した。
「何なんですか、これ?」
「中村美咲の弱点よ。こんなこともあろうかと、去年の段階であゆみちゃんに調査を頼んでおいて正解だったわ」
「何でこんなことがあるって、考えたんですか……」
 準備の良さが半端なさ過ぎる。優歌の問いに直接答えず、エミリは続ける。
「まず、『イクイップ・オプション』を宣言して。その後、『必殺魔法!』とか適当に強そうなこと言ってから、この紙に書いてある内容をねちっこく読みなさいな」
「は、はあ……。分かりました」
「頑張ってね、部長みたいにワケ分からないなりにもノリノリでいけば、きっと勝てるよ!」
 心強いのだかどうか微妙な後押しを受けて、優歌は松代に叫ぶ。
「イクイーップ・オプション!」
「おーっと、伊藤優歌、この戦いで初めて自信満々だ!」
「エミリとあゆみちゃんから何かアドバイスをもらったわね。このラウンド、血の雨が降るわよ」
 プロの解説者のような貫禄で、適当なことを口走る露子であった。
「必殺魔法!」
 強そうな言葉が思いつかなかったので、結局エミリの案をそのまま流用する。問題はここじゃない、この紙の中身だ。ねちっこくってどうしたらいいんだろう。
 優歌は紙を広げる。文面を見る限り手紙、それもこれは……。
「高村くんへ。突然のお手紙で、戸惑わせてしまってごめんなさい。面と向かって気持ちを伝えられない、臆病者のわたしを笑ってください。ずっと前からあなたのことが好きでした……」
「や、やめろー!」
「おっと、自分のラウンド以外は攻撃禁止だぜ」
 赤面した氷愛魅火が、いや中村美咲が飛び掛ってきたが、松代に阻まれる。
「春の陽の光のように暖かなあなたが好きです。夏の木漏れ陽のように爽やかなあなたが好きです。秋に吹く風のように涼やかなあなたが好きです。冬の空気のように、ドライなあなたが好きです」
 結局どんな人物だったんだ。読みながら優歌は思った。
「インターセプト! スキル・インターセプトだ!」
「それ、斬嶋は使えないだろ。使えたらアニメの十七話でグスタフに負けてねえし」
「こ、この世界に来てから覚えた!」
「設定変更は見苦しいぜ」
 何やら優歌には分からないルール的な部分でもめているようだが、構わずに続ける。
「あなたの全てをわたしにください。わたしの全てをあなたにあげます。何故なら、わたしはあなたに出会うために、この世界に生まれてきたから。もし受けてくれるなら、明日の朝七時に教室で待っていてください。そこで何より甘いキスをしましょう。中村美咲」
 最後の部分がすごくハードルが高い気がする。この手紙はどうやら、中村美咲が中学の頃に書いたものらしい。続いて、その後の顛末が書かれていたのでそれも読んだ。
「この後教室に行った美咲ちゃんは、この手紙が黒板に貼り付けられているのを目にします。黒板には大きな字でこうも書かれていました。『誰もお前のキスなんていらねえよバーカ』と……」
「うわあああああぁぁぁ!」
 中村美咲は悲鳴を上げて頭を抱えた。優歌も悲鳴を上げたかった。最悪じゃないか。確かにこんなことがあったら、実在しないラノベの主人公に傾くのも分かる。しかし、こんなものよく掘り起こしてきたな。
「朝霧氷愛魅火を戦意喪失と見なす! このバトル、勝者は伊東優歌!」
 あくまで冷静に松代は審判の任務をこなし、優歌の右腕を高々と持ち上げた。
「こーんなかわいいところがあったのね、中村さん」
 満面の、しかしとても凄みのある笑顔で、うずくまる美咲にエミリは言った。
「掘り起こされちゃって、かわいそう。でも、あなたが悪いのよ? わたし達に喧嘩を売るから」
「心底性質悪いですよね、エミリ先輩。と言うか、ただの悪人……」
 絶対にこの人だけは敵に回さないでおこう、と改めて心に決めた優歌であった。





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