六 ボクは名探偵 依頼編


 思い返せば、確かに今日の二人は様子が少しおかしかったように思う。
 ルミは普段から、そわそわと落ち着きのないタイプだが、今日は特にそうだった。
 隣の席の小池亜衣も、授業中も昼休みにおしゃべりしている時も、どことなく上の空というか、元気がないというか、そんな様子であった。
 二人とも陸上部なので、ゴールデンウィーク中にしごかれたり、仕事が大変だったりして疲れているんだろう、とは思っていたが……。
「あの、二人とも、悪いこと言わないからさ……」
 ここは止めといた方がいいよ、悩みがあるなら先生に相談しなよ、と言おうとしたが、あゆみが割り込んでくる。
「やっぱり優歌ちゃんの友達だったんだね。ささ、早く通してあげなよ」
 あゆみはそう言いながら、優歌を押しのけて二人を中へ引き入れた。
「じゃ、じゃ、失礼します」
「失礼しますー」
 二人をソファーに座らせ、優歌を自分の隣に呼んで、あゆみはこう切り出した。
「はじめまして。ボクは二年生の戸川あゆみ。大鷺高校の学園探偵だよ」
 電波な自己紹介にもかかわらず、二人は特に当惑した様子もなくそれぞれ名乗った。
「それで、小池さん。今日は何のご相談かな?」
 二人が相談に来たのに、あゆみは迷わず亜衣に話しかけた。
 野川先生から彼女が相談主だと聞いていたのかな、と優歌は考える。おっとりしていて控えめな所のある彼女が心配で、ルミはついてきたのだろうか、とも。
「あのー、その……」
「いやそれがですね、あたし達陸上部の一年生なんですけど」
 ゆっくりしていて、尚且つ言いよどんだ亜衣に焦れたのか、ルミが話を繋ぐ。
「一昨日の練習の時、ちょっと事件があったんです」
 ルミの話はこうだった。
 陸上部は、大会が近いこともあり、長期休暇中もほぼ毎日練習をしていた。
 練習を終え、部室に帰ってくると、ある部員のロッカーが荒らされていたのである。
 ロッカーと言っても、鍵のかかるタイプではない。銭湯などにあるような、扉すらないタイプである。部室に余計な私物を置かないように、という顧問の方針であった。
「財布とかは大丈夫だったんですけど、その制服が……」
 刃物か何かでずたずたにされていたのだという。
「それ、顧問の先生には届けたの?」
「ううん、あんまり大事にしたくないからって、部長が止めたよ」
 大会の前だと言う事情もあるらしい。
「やられた子も、自分がそういうことされたって、あんまり知られたくないだろうし」
 いくら顧問の教諭が被害者のことを黙っておくと言っても、大袈裟なことになれば噂になってしまう。
「でも、だからってうちに来ても……」
「野川先生がー」
 それまで説明をルミに任せっきりにしていた亜衣が、唐突に口を開く。
「先生に言えない悩みがあるなら、学園探偵部かカウンセラーに、って」
 探偵部なら優歌ちゃんもいるからと思ってー、と亜衣は付け加えた。
「要するに、野川先生の丸投げ用の機関なんですね、学園探偵部って」
 横目でにらむ優歌を無視して、あゆみは話題を変える。
「それで、今日のクラブは?」
「お休みです。ちょうど休みの曜日なんで。でも明日から始まるから、ちょっとちょっと気持ち悪いなって」
 部室はクラブの時だけでなく、体育の授業で更衣にも使われている。確かに不安だろう。
「クラブは休みか。じゃあ、聞き込みは明日かな?」
「あ、でもでも、女子の部長さんと副部長、マネージャー長さんは残ってます」
 さっきまで、ここに話を持っていくかどうか、相談していたらしい。
「被害者は?」
「今日は学校に来てないですね」
 そんなことがあったのだから、無理もないだろう。
「じゃあとりあえず、現場検証と聞き込みかな」
 案内してもらえるかな、と言って、あゆみは立ち上がった。



 陸上部の女子用の部室は南グラウンドの奥、草木の生い茂った雑木林の中に建てられていた。コンクリート作りの平屋建ての小屋で、裏には赤いコーンや運動場を均すトンボなどが積み上げられている。
 古くは生物部が部室として使っていた建物で、近くに百葉箱もある。前年度の理科系クラブの統廃合に伴って空きが出たため、陸上トラックから近いという事もあり、部員の増え始めていた陸上部の女子が名乗りを上げ、現在に至る。
「教室からは遠いけど、建物一つっていうのは、リッチな気分でいいよね」
 ルミはそう言って気楽に笑った。確かに小さな小屋ではあるが、今や七人の人間がひしめく部室を使っている身としては、少し羨ましかった。
 部室の前には三人の人間が立っていた。その内の一人、ショートカットの女生徒が、優歌たちを見てこちらに進み出てきた。やや男性的な印象の人だな、と優歌は思う。スカートの下から覗く足がまぶしい。
「こんにちは。学園探偵部の戸川あゆみです」
 優歌も次いで自己紹介した。
「悪いね、こんな所まで来てもらって」
 ショートカットは大町純と名乗った。陸上部の女子の部長だという。
「後ろの髪を結んでるのが、副部長の木原。そっちの背の低いのが、マネ長の山畑だよ」
 紹介された二人は小さく会釈をした。木原、と紹介された方は露骨に胡乱げな目つきでこちらを見ている。
「早速ですが、部室を見せてもらっていいですか?」
「ああ、構わないよ。少し散らかってるけど」
 大町の目配せで、山畑が鍵を出して部室のドアを開ける。あゆみは無遠慮にずかずかと、優歌は恐る恐るといった足取りで中に入った。
 部室の中は整然としていた。入って左手側に木製のロッカーがある。ルミの言葉通り、温泉旅館にありそうなものだ。縦横三つずつの四角いスペースを持つ棚が、三つ並んでいた。
 部屋の中央にはベンチが二脚、右手側には窓が二つある。窓は中から鍵が掛けられるようになっており、やや高い位置にある。人が入るにはぎりぎりといった感じの大きさだ。
「事件当時、部屋の中の状況はどうなっていました?」
 天井の辺りを見回しながら、あゆみは背後に問うた。
「状況、っていうのは?」
「窓が開いていたか、とか、何でもいいんです」
「山畑先輩、部屋の写真撮ってませんでした?」
 ルミが横から口を挟み、山畑は「そうだ、そうだ」とデジタルカメラを取り出す。
「写真、あるんですか……」
「現場保存っていうか、そういうのできないから、一応写真だけでもって思って」
 優歌の言葉にうふふと笑いしながら、山畑は答えた。
「うん、現状の保存は大事ですからね」
「そうそう。サスペンス劇場とかで、見てて」
「ボクもそこで知りました」
 臆面もなく同意する自称名探偵。優歌は頭が痛くなってくる。
「おいおい、そんなんで大丈夫かよ……」
 ぼそり、と木原がそう呟いたのが聞こえた。大丈夫じゃないかもです、と優歌は心の中で答える。助手としてついてきたが、一番この中であゆみを名探偵だと思っていない自信があった。
「写真によると、窓は開いていなかったみたいですね」
「そうね、ドアの鍵も掛かってたわよね?」
 デジカメの画面をあゆみと覗き込んでいた山畑は、振り向いて他の部員たちに問う。
「どうだったかな……」
「わたしが開けましたけどー、掛かってましたよー」
 大町が首を傾げる横から、亜衣が答える。
「ホントか? 小池ドン臭いからなあ」
「わたしも一緒に掛かっていたことは確認したわ。練習が終わって即部室を開けないと、誰かさんの機嫌が悪いからね。マネージャーは大変よ」
 山畑の言葉に、木原は鼻を鳴らす。
「と言うことは、練習中もここは施錠されてるんですね?」
「ええ」
 その問いには、その場にいる陸上部員は全員うなずいた。
「うーん、密室か……」
 そんなことを言われると、すごくややこしい事件のように優歌には思えてくる。
 助手の危惧をよそに、ぐるりと部屋中を見渡して、あゆみは振り返った。
「凶器、制服を切り裂いたという刃物は、ありましたか?」 「いや、見つかってない。犯人が持ち去ったんだ」
 首を傾げる木原や山畑に代わって、大町は言った。
「なるほど、よく分かりました」
 しばらく床を見下ろした後、あゆみは言った。
「こういう事件って、今までもありました?」
「うーん、ないと思うけど……」
 山畑は首を傾げて、大町の方を見た。大町はややあってから首肯する。
「では、当日の皆さんの行動を教えてもらえますか?」
「行動といわれてもな」
 木原は肩をすくめる。
「みんな練習してたよ」
「それは全員で?」
 当たり前だろ、と木原は眉をしかめる。
「練習中に抜け出したりとか、そういう人、いませんでした?」
「それは……!」
「いませんでした」
 木原の言葉に被せるように、小池が言った。
「いなかった?」
「貧血で保健室に行った人はいましたけどー、付き添いましたし」
「ああ、いたね」
「朝ご飯を食べないからああなるのよ」
 大町と山畑がうなずき合う。
「なるほど、よく分かりました」
「ちょっと待てよ、戸川さん」
 にらむような目で、木原はあゆみの顔を見た。
「さっきの言い方じゃ、まるで部の中に犯人がいるみたいじゃないか」
「まだそこまでは言っていません」
 あくまで冷静に、あゆみは言った。いつもより声が真剣味を帯びているように聞こえるのは、優歌の気のせいであろうか。
「まだ、ってなんだよ」
 今度はあゆみが肩をすくめる番だった。とは言え、かなりニュアンスは違うが。
「現状保存ということでしたが、ここで調べるべきことは大方終わったので、明日からは普通に活動なさってください」
「待てよ、何一つ解決してないだろ」
 木原先輩の言うとおりだ、と優歌は思う。これでは被害にあったという女子生徒の不安どころか、他の部員のそれも晴れないだろう。
「高森は、服切られた一年は、今日休んでんだよ。何か、結論つけてくれないと、あいつも来られないじゃないか」
「えらく後輩思いなこと言うじゃん」
 珍しいの、と山畑はじっとりとした目で木原を見上げた。
「茶化すなよ。あいつに早く復帰してもらわないと、今度の大会が……」
「被害にあった高森さんは、一年生ということですが、大会に出るんですか?」
 あゆみはこぼれ球を拾って、二人の間に割って入った。
「まだそれは分からない。顧問の池田先生次第だ」
 答えたのは部長の大町であった。
「でも、有力な候補ではある?」
 食い下がるあゆみに、渋々ながら大町はうなずいた。
「一年生だけどね、すごくすごく速いんですよ。中学の時から、活躍してたみたいで!」
 ぎすぎすした空気を気にしないルミの言葉に、木原はますます顔をしかめた。
「なるほど、ありがとうございました。これで必要な情報は大体揃いました」
「じゃあいよいよ謎解きタイム? 断崖絶壁に行かないと」
 山畑はそう言って笑った。さっきから見ていると、冗談を言わずにはおれない性質らしい。
「いやいや、まだ時計は二十二時台ですよ」
「そっか、まだ半分か」
 あゆみはうなずいた。サスペンス劇場な例えの応酬についていけなかった周囲も、ようやく合点が行く。
「ともかく、もう同じような事件は起きないでしょう。この名探偵が太鼓判を押します」
「そんなもんが何の保障になるんだよ」
 優歌は心の中でうなずいた。確かにそうだ。名探偵と言うなら、まずそれを証明しなくては。助手ですらそう思ってるレベルなんだから。
「ま、まあ今日はありがとう。もう終わったのなら……」
 大町は曖昧な笑顔でそう言った。言葉の裏に「早く帰れ」という感情が透けて見える。
「ええ、一旦戻ります」
 大町の言葉の裏側を知ってか知らずか、あゆみはにこやかに応じる。一旦ということはもう一度来るのか。そんな表情が見えた気がした。
「あ、そうだ。最後にもう一つ」
 部室から出かかった足を止めて、あゆみはそう言って部室の中を振り返る。虚を突かれた大町と木原は顔を見合わせた。先に出ていた優歌も驚いた。
「部室の鍵の管理は、誰がなさっていますか?」
「……あたしと山畑だよ」
 木原はにらむような目で答えた。
「部長さんが管理されているのではない?」
「それがなんだってんだよ? 刑事ドラマの真似事がしたいんなら帰れよ! 遊びでやってんのか!?」
「木原」
 つかみ掛からんばかりに詰め寄る木原の肩を、大町が押えた。
「会議なんかはわたし、鍵やらの管理は木原みたいに、分けてやってるんだ」
「山畑先輩が持ってらっしゃるのは合鍵ですか?」
 木原に詰め寄られたことなどなかったかのように、あゆみは平静に尋ねた。
「うん。内緒でね? あと一、二年にも鍵の管理者が一人ずついるよ」
 部室の合鍵を作ることは禁じられていた。しかし、どこのクラブも鍵が一つでは不便なので、こっそりと作っているというのが現状であった。
「ありがとうございました」
 帰るよ、優歌くん。そう言ってあゆみはさっさと行ってしまう。慌てて優歌は後を追った。
「ちょ、あゆみ先輩!」
 木立の中を抜け、グラウンドに入った辺りで、優歌はあゆみに追いついた。
「いいんですか、あんなので! 向こうの部長さん方、結構頭にきてたみたいですよ!」
「そうだね」
 あっさりとあゆみは言った。
「て言うか、全然謎解いてないし、引っ掻き回しただけじゃないですか」
 木原のセリフではないが、これでは冷やかしに来たと取られても仕方がない。
「謎ならもうある程度は解けてるよ」
「本当ですか?」
 疑念の目で優歌は、マイペースに歩く先輩の顔を見下ろした。
「だけど、その話の前にお客さんだ」
 そう言ってあゆみは立ち止まると、後ろを向いた。優歌も振り向くと、大町部長がこちらに駆けてきていた。
「どうかされましたか?」
 追いついた大町に、あゆみは問いかける。
「あの場では言えなかったし、オフレコで聞いてほしいんだが」
 特に助手の君は市川や小池に言わないでほしいんだが、と大町は優歌を見た。
「ええ、もちろんですよ。探偵には守秘義務がありますから。不出来な助手ですが、優歌くんもその辺りはよく理解しています」
「不出来って……内密にということなら、約束します」
 ありがとう、と大町は一つうなずくと、小声で切り出した。
「実は去年、あの部室になってから盗難があったんだ」
「え!?」
 優歌は思わず口元を押さえた。
「わたしの財布から、小額だけど抜き取られていて」
 帰りにコンビニに寄った時に気が付いたのだと言う。
「それは、部室で抜かれたんですか?」
「ああ。部活の直前に、購買でジュースを買ったからね。それがなくても、お札がごっそりなくなっていたら分かるだろう?」
 千円札が三枚だけど、と大町は付け加える。
「後で気付いたことだし、今回みたいに鍵の掛かった部室から盗まれたわけだ。三千円のために、内部で犯人探しをするのも気が引けてね」
「なるほど。貴重な情報、ありがとうございました」
「うん、木原はああ言ったけど、わたしは君たちに期待しているからね」
 がんばって犯人を見つけてくれ、と言い残して大町は引き返していった。
「あの部長さん、いい人っぽいですね」
「……やれやれ」
 後ろ姿を見ながら優歌の言った一言に、あゆみは首を横に振って見せた。
「え?」
「今はいいや。それより、密室の謎だけどね」
 やや引っ掛かるものを感じながら、優歌はうなずいた。
「侵入経路は既に分かってるよね?」
「いえ……」
「おいおい優歌くん、頼むよ?」
 もっと名探偵の助手の自覚を持たなきゃ、と背中を叩かれ、優歌は釈然としなかった。
「数十分前に突然指名されて、自覚も何もないんですが……」
「なら、できるだけ早急に身につけるように」
「それはまあ善処しますが……密室は?」
「優歌ちゃん、部室の窓は見たかな?」
「はい。高い位置にあって、ちょっと小さめですよね?」
「鍵は?」
「中から掛けるタイプでした。金具を引っ掛ける感じの」
「そうだね。あの窓、小柄で身の軽い人なら入れちゃいそうだと思った?」
「じゃあ、窓が侵入経路ですか?」
 意気込んで聞く優歌に、あゆみは「ちっちっち」と言いながら人差し指を振る。
「……あゆみ先輩、それ前から思ってたんですけど、口で言うんじゃなくて、舌打ちみたいにして音出すんですよ?」
 チッチッチ、と優歌はやってみせる。
「それができないから口で言ってるんだ……」
 どこか寂しそうな顔で、あゆみは言った。
「す、すいません……」
「ともかく、窓ではないんだ」
 咳払いをして、あゆみは話を戻す。
「いいかな? 山畑さんに見せてもらった写真では、鍵は掛かっていた」
 わざわざその部分をズームして見たらしい。
「あの窓は内側からしか鍵が掛からない。窓から入って窓から出たら、鍵は開いたままになるんじゃないかな?」
「あ、そうか……」
 今日はいつになく名探偵っぽいな、と優歌はそちらに感心する。
「じゃあ、犯人はどこから入ったんですか?」
「簡単だよ。ドアの鍵を開けて入って、ドアから出て鍵を閉めたのさ」
「ええー!?」
 優歌は思わず頓狂な声を上げる。練習中の野球部員がいぶかしげな顔でこちら見て、思わず顔が赤くなる。
「じゃあ、やっぱり内部の犯行?」
 あゆみの言う行動ができるのは、鍵を持つ人間だけだ。確か大町の話では、木原と山畑、それから今日はいなかった一年生と二年生の鍵番の四人がそれに当てはまる。
「一、二年生の鍵を預かってる人に、今度は聞き込みですか?」
「いや、その必要はないよ」
 あゆみは首を横に振った。
「彼女らから聞きだせることは、大体聞けた。次は優歌くん、君の出番だ」
「わたしですか?」
 何をさせられるというのだろうか。とりあえず部長の手伝いよりはマシだろうが。
「後で少し、働いてもらうことになるよ」
 そう言いながら、あゆみはコートの内ポケットから携帯電話を取り出した。





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