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  六 ボクは名探偵 解決編


 陸上部の活動は、その日は休みになった。とばっちりを受けた格好の男子の部員たちは、南グラウンド隅のトレーニングルームで汗を流すなどしていた。
 女子の部員たちは、各々帰宅の途についた。犯人が停学になったとは言え、気持ち悪いことに変わりはない。
 被害者の高森は、今日も登校していなかったため、このまま彼女は退部するのではないか、と囁かれていた。
 そんな中、一人の人物が女子陸上部の部室を訪れる。その人は鍵を持っていた。鞄の奥から取り出して、ドアの鍵穴に突っ込む。
「やあ、またお会いしましたね」
 そこへ響く、新しい声。振り向き、少し怯んだ様子を見せた。
「さっきあなたの所に、風紀委員が来てこう言いましたね? 『業者を呼んで部室を掃除して、鍵も変えることになるから、その事を明日までに部員に通達するように』と」
 鍵をドアに差したまま、目をきょろきょろさせる。動揺しているようだ。何故、こいつが知っている?
「すいません、あれはボクの嘘です。あなたを呼び出すために、なりきるのが得意な友人に頼みました」
 声の主――戸川あゆみはにっこりと笑った。
「少しお話をしましょう、大町先輩」
 その人物は、大町純は、生唾を飲み込んでうなずいた。
「さて」
 右の人差し指を立てて、あゆみは切り出した。彼女の信じる名探偵の鉄則では、この言葉で謎解きを始めるものとしていた。
「昨日はお疲れ様でした。渋井という男を捕まえたのだとか」
「あ、ああ。あんた達の手を借りるまでもなかったよ。間抜けなヤツだった」
「何故彼は、ここに来たんでしょうね?」
「さあな。昨日も忍び込みたかったんじゃないか?」
 大町純は一つ息をついた。ホッと、安心したようにも見えた。
「それはありえないんですよ」
 一瞬気を許した隙を突くように、あゆみははっきりと言った。
「彼は去年から、部室に忍び込んではくんかくんかしてました」
「く、くんかくんか?」
「陸上部は、昨日は休みの曜日です。去年もそうだったと山畑先輩たちから聞いています。渋井は陸上部の予定は押さえていたでしょう。昨日は獲物がないと、知っていたはずです。それなのに、何故ここに現れたのか」
 答えは簡単です、とあゆみは続ける。
「ここに誰もいないはずだったから。昨日彼が現れたのは、ある物を探すため」
 言ってあゆみは、右の人差し指で扉を指した。
「鍵です。しかも、その鍵だ」
「これは、わたしが木原から……」
「いえ、それもありえないんですよ」
 あゆみは首を振った。
「木原先輩の鍵も、山畑先輩の鍵も、一・二年生の鍵も、更には顧問の池田先生がお持ちの予備の鍵も」
 あゆみはコートのポケットから五本の鍵を取り出し、トランプのように広げて見せた。
「こうして五本ともボクの手元にあるんですから」
 いずれの鍵山も、同じ形をしていた。
「それは、どこにあった鍵ですか?」
「違う! これは……」
「ボクはこう考えています。渋井はあの事件のあった日、いつものように部室内で変態行為におよんでいた。それを終えてから、部室を出た時に誰かに見つかってしまった」
 驚いた渋井は慌ててそこから逃げた。その拍子に、鍵を落としてしまった。
「鍵を落としたことに気がついた渋井は、陸上部の練習がない日を狙って、探しに来たんですよ」
 しばらく、両者の間に沈黙が流れる。先にそれを破ったのは、大町だった。口の端で笑い、彼女は言った。
「確かに、これは渋井の鍵かもしれない。でも、それがどうかしたのか? わたしはこれを拾っただけだ」
「ええ、その事については、遺失物を届けなかったことを除けば、問題はありません。むしろ変態から部長の手に渡ったことを、普通なら感謝するくらいです」
 そうだろ、と言う大町に、あゆみはぴしゃりと言った。
「ただし、あなたの手に渡ったことは歓迎できることではなかった」
「何?」
「大町先輩、あなたは今、ここに何をしに来たんですか?」
「それは……」
「これを探しに来たんじゃないですか?」
 そう言って、あゆみはポケットから今度はカッターナイフを取り出す。かなり大ぶりの物だ。
「あなたの物ですよね?」
「ち、違う! 何を言ってるんだ! ふざけるな!」
「えらく動揺していますね」
「あ、当たり前だ! 犯人扱いされて……」
「おや、何の犯人ですか? カッターナイフについて尋ねただけですよ」
「もうやめてくれ!」
 大町は叫んだ。
「分かってるんだな、全部……」
「ええ。ボクは名探偵ですから」
 あゆみは一つうなずいた。
「あなたは練習中、何か用事があってたまたま部室へ戻ってきた。そこで渋井と出くわした」
 逃げ出した渋井が落とした鍵を見つけ、それを使って部室の中に入った。
「大町部長、あなたは四百メートル走の選手だ。しかし、タイムで一年生の高森さんに負けている。最後の学年の大会なのに、試合に出られないことを逆恨みしたあなたは、高森さんへの嫌がらせを思いついた」
 大町は部長だが、鍵は持っていない。自分に容疑がかかる可能性も少ないと踏んでの行動だったのだろう。
「いつ……だ?」
 大町は鼻をすすりながら尋ねた。
「いつ、気付いた?」
「部室に来た時、ボクが凶器の行方を尋ねたら、あなたは『犯人が持ち去った』と言いました。それまでもそれ以降も、あなたが断定的な物言いをしたのは、この時だけです」
 更にこれもまずかった、とあゆみは続ける。
「ボクらを追ってきて、わざわざ盗難の話をしたことです。あれは嘘ですね?」
 こくり、と大町はうなずいた。
「外部犯に、見せないと、って……」
「嘘を一つつくと、それを補うために新たな嘘をつかざるを得なくなる。そうして綻びができてしまうものです」
 あゆみはそう言って首を横に振った。
「執拗に、あなたは外部の犯行に見せようとした。確かに侵入者がいたのをあなたは見ている。渋井に全部押し付けようと考えたのでしょう。それなのに、カッターナイフを部室に隠していた。それは何故ですか?」
「……とっくにご存知なんだろう?」
 濡れた目で、大町はあゆみを見た。直接答えず、あゆみは背後の草むらに声をかけた。
「優歌くん」
 優歌に伴われて、姿を現したのは一年生マネージャーの小池亜衣だった。
「部長、ごめんなさい。しゃべっちゃいました」
 いつもののほほんとした調子とは対照的な、悲壮な口調で亜衣は言った。
 昼休みに、あゆみが優歌に頼んだのが、亜衣を部室に呼び出すことだった。あゆみはそこで、彼女に自分の推理を聞かせ、全てを語らせたのである。
「最初から、この小池亜衣さんに何かあるということは分かっていました。それが恐らく、事件の核心であることも」
 ルミが亜衣を心配している、ということは野川からも聞かされていた。だから、最初に亜衣に話しかけたのである。
「小池さんはあなたを庇うために必死でした。あなたが練習中に姿を消したことを知っていたからこそ、ボクが尋ねた時『誰も練習中は離れていない』と言ったのです」
 しかし、それは拙速であった。ここで、あゆみは亜衣が真犯人を庇っていることを確信したのであった。
「男女合わせると四十人近い大所帯で、全員を逐一把握するのは難しいでしょう。そうやって曖昧にしておけばよかったのに」
「貧血で倒れた子がいたから、部長を探さないとと思って。でも見当たらないから、部室の方かな、と思って行ってみたんです。そしたら、ドアが開いていて、中で部長が何かしてるのが見えて……」
 その時は、まさか制服を切っているとは思わなかったが、後で騒ぎになって、誰が犯人かを悟ったのだという。
「聞いたかい、戸川さん……。それに一年生の君も……」
 自嘲気味に大町は言った。
「貧血で騒ぎになった中、わたしがいないことに気付いたのは、この小池だけなんだ」
 誰かに見られた、と思った大町は咄嗟にロッカーの裏にカッターナイフを隠したのだという。
「場を仕切るのは木原がいればいい。みんなの世話をするのは山畑がいればいい。試合に出るのも高森がいればいい。じゃあ、部長のわたしは、一体なんなんだ?」
 わたしがいる意味なんてあるのか! そう吐き捨てる大町の気持ちが、優歌には分かるような気がした。
「わたしなんて、要らない人間なんだよ! 中学記録か知らないけど、弱小校だし気楽にやろうなんて一年にも負けて、みんな影でわたしを笑ってんだよ! そうだろ? 小池! お前も全部知ってて、影で笑ってたんだろ!」
「それは……それは違います!」
 怒鳴る大町に負けない声で、優歌は言い返した。意外そうに目を見開く大町は、気圧されたようによろめいた。
「亜衣ちゃんは、あなたを庇ってました。あなたのために、苦しい思いをしてたんです。全てをわたし達に教えてくれたのは、あなたのためを思ってこそです。このまま隠し続けるのが、あなたのためにならないと思ったから……」
 味方なんです、あなたの。そう言って、優歌は亜衣の顔をうかがう。
 彼女はしばし瞑目し、一つ息をついてからおずおずと眼と口を開いた。
「部長は、いつもみんなに優しいです。木原先輩がわたしたちを怒った後も、フォローしてくれました。山畑先輩だって、部長に感謝してるって。あの時も、足りないのに気付いて、部室の裏に置いてあるコーンを取りに行ってくれたんでしょ?」
 それが練習を離れた理由だったらしい。自ら進んで雑用もこなす、そんなリーダーだったのか、と優歌はだからこそ切なくなる。
「それにこの部室も、去年二年生だった先輩が働きかけたって……」
 だから、自分で自分を要らないなんて言わないでください。亜衣は大町の隣に回ると、彼女の体を抱きかかえるようにした。
「そんな先輩が、わたしは好きだったから……」
 大町は後輩の胸を借りて、ぼろぼろと泣いた。貸した方も、涙を流していた。
「大町先輩」
 泣き止むのを待って、あゆみはぽつりと言った。
「このことは、内緒にしておきます。ボクも助手も、誰にも言いません」
 大町は泣き腫らした目を上げた。優歌は、彼女に強くうなずきかけた。
「だけど、約束してください。自分の良心に基づいて、自分で決着をつけると」
「……それで、いいのか?」
 あゆみは微笑んで、うなずいた。
「はっきり言って、あなたは悪い事に向いてません。こんなカッターナイフ一つ見つかったって、証拠になんてならないのに」
 それに、とあゆみは付け加える。
「ボクは名探偵です。人間の正義と、良心を信じています」
 それもまた、あゆみの言うところの名探偵の鉄則であった。



「あれから、大町先輩がみんなの前で高森さんに謝って、結局二人とも退部してしまったそうです」
 謎解きを行なった次の週、優歌はルミから聞かされた陸上部の顛末を、あゆみに話した。
 亜衣もあの後、徐々に元気を取り戻しているように見える。
 一時は彼女も一緒に退部するのではないか、とルミと二人で気を揉んでいたのだが、あのマネージャー長の山畑が押し止めたらしい。
「それで、木原先輩が部長になったそうですよ」
「ふうん」
 鉄柵を抱え込むようにしてもたれたあゆみは、気のない返事をしてパイプをふかした。煙ではなく、しゃぼん玉がふわりと空へ浮き上がった。
 二人は今、北校舎の屋上にいた。始業式の日に露子が閉じ込められたあの屋上である。
 報告のために部室に来たが、あゆみの姿がなく、居合わせたエミリにこの場所を教えられた。
 抱えている事件が片付くと、あゆみは必ずここに来るのだという。優歌は今までも事件を解決した実績があるということに驚きつつも、屋上にやってきたのであった。
「これで、よかったんですかね……」
 ちっともよくない、という空気を感じて、優歌は尋ねた。
「さあね。それは本人たちが決めることだから」
 にべもない。パイプをくわえて中庭を見下ろしている。
「探偵にできるのは、謎を解くことだけさ。名探偵なら、みんなが幸せになれるように解決しなきゃだけど……」
「悲しい、事件でしたか?」
 あゆみが口ぐせのように使うフレーズで、優歌は問いかけた。
「そうかもね。でも」
 あゆみは優歌に顔を向けた。
「悲しいままじゃいられない。当事者も、ボク達も。大丈夫じゃなくても、うまくいく保障がなくても、それでも明日は待ってくれないから」
 優歌も、この事件にかかわって考えることがいくつかあった。今を見て返すきっかけになったし、あの謎解きに立ち会って、自分の中に在る言語化できなかった気持ちの正体も、つかめたように思う。
 あゆみもまた、名探偵としてではなく、彼女の裸の部分で感じるところがあったのだろうか。
 彼女が今まで、どんな事件を、どれだけ解決してきたかは知らないが、いつもそれを整理するために、事件の後は屋上でしゃぼん玉を吹くのかもしれない。
 心に沸いた考えを留めて、優歌は尋ねた。
「……そのセリフ、何かのサスペンスドラマの真似ですか? それとも名探偵の鉄則?」
 あゆみは笑って首を振った。
「ボクの、個人的な意見だよ」
 屈託のないその笑顔を見て、優歌は何故かとても安心した。名探偵から、彼女が近い所に帰って来たように思えた。
 あゆみはまた、パイプを吹いた。しゃぼん玉がぽっかりと飛んで、傾いた日の光が照り返した。





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