四 ラノベかあ……、読みはしねえなあ その4 「うん、あの子だね」 松代の指した少女を見て、あゆみはうなずいた。三人は、先ほどと同じ本棚の陰に隠れていた。 「よし、それでは名探偵の調査をお見せしよう」 言ってエミリはコートとハンチング帽を脱ぎ、優歌にもたせた。更にブレザーも脱ぎ、タイも外す。ワイシャツとスカートだけになった彼女は、更にどこからともなく取り出したカチューシャで前髪を上げた。 「……どうしたんですか?」 「変装に決まってるじゃないか」 更に眼鏡を取り出して掛けると、その弦に手をやって、得意げな顔で言った。 そこまでする必要があるのだろうか、と優歌は疑問に思う。あんまり印象は変わっていないし。自称名探偵なりのこだわりだろうが。 「じゃ、行ってくるね」 軽やかに宣言して、あゆみは窓際の席へ向かった。 「大丈夫ですかね?」 「勿論だよ。あゆみちゃんは名探偵だからな」 「それ、本気で言ってます?」 「……まあ極たまに、というか時々、というかよく、というかいっつも、間が抜けてるかもしれないけど」 「常時ダメじゃないですか」 「それがあゆみちゃんの、かわいいとこだからな!」 またも無駄に爽やかなサムズアップ。ダメなのはこっちもだ。優歌は帰りたくなった。 窓際の席では、あゆみが件の少女の向かいに座ったところだった。どこからか取り出した文庫本を読むふりをして、彼女を観察するつもりのようだ。 だが、その様子は遠目から見ても、こっそり見ているというレベルのものではなかった。 「……先輩、ガン見してるんですけど?」 「本に集中してりゃ気付かねえよ」 松代がそう言った瞬間、少女は顔を上げた。完全にあゆみと目が合っている。二、三秒見つめ合った後、気まずそうに本に目を戻す。 「集中してないじゃないですか」 「……そういや、俺のこともちらちら見てたな」 こそこそと二人が話し合っているうちに、あゆみは席を立って来た時とは別方向へ歩き出した。いらないところで用心深い。 「どうだった?」 大きく遠回りをして戻ってきたあゆみに、松代は尋ねた。 「名前はアサギリヒメミカ。うちの高校の二年生、同学年だよ。読んでたのは『クーゲルシュライバー』の七巻」 「名前まで分かったんですか!? て言うかすごい名前……」 どんな字を当てるのか想像できない。優歌の言葉にあゆみは手帳を取り出すと、その一ページに『朝霧氷愛魅火』と書いた。 「暴走族レベルですね……」 「て言うか、うちの高校ってマジかよ!?」 「知らなかったの? 鞄持ってたよ?」 大鷺高校は、学校指定の制服はあるが、私服での通学も認められている。彼女も学校帰りにここに寄ってるんだろうね、とあゆみは付け加える。 「同学年であんな子見たことねえんだけど」 「まあ、全員知ってるわけではないでしょうから……」 どうするんです? と優歌は松代の顔を見た。 「こうなったら善は急げだぜ。『クーゲルシュライバー』ならアニメも見たし」 「あ、じゃあ……」 「思い立ったら吉日。『朝霧さんって「クーゲルシュライバー」の斬嶋観月に似てますね』これで行くぜ!」 「いや、ちょっとそれは……」 正直、優歌ならその場から逃げ出すレベルのセリフだ。しかし止める間もなく松代は行ってしまった。 「サイは投げられた。上手投げでね」 「右の前まわしを差されたんですね」 真剣な顔で言うあゆみに、呆れたような口調で優歌は応じた。 「サイも角を使う暇がなかったね」 「……そのサイって、サイコロのことだって知ってました?」 「あ、見たまえ優歌くん! マッツくんが朝霧氷愛魅火に接触したよ!」 話を逸らすようにあゆみは窓際の席を指す。 見ると確かに松代が何か話しかけているところだった。恐らく自己紹介、そしてさっきのセリフと続けているのだろう。優歌は何だかどきどきしてきた。本棚の端をつかんで、行く末を見守る。 オーバーな手振りで、彼女の持つ文庫本を指しながら話す松代。すると、朝霧氷愛魅火が突然立ち上がった。 「わ! 怒らせたんですかね?」 「いや、違う」 氷愛魅火が松代に詰め寄っていく。押されるようにして松代は後退し、突然身を翻して脱兎の如く駆け出した。程なく入り口の方から、こら! 図書館で走るな! というしゃがれた声が聞こえた。 「ボクたちも行こう」 あゆみに促されて、優歌は歩き出す。ふと振り返って、窓際の席を見た。呆然と立ち尽くす彼女は、とても寂しげに見えた。 「どういうつもりですか、逃げ出すって!」 玄関ホールの壁によりかかるようにして立っていた松代に、開口一番優歌はそう怒鳴りつけた。 「女子として、そういうのどうかと思います。ヒメミカさん、すごく寂しそうでした。自分から声掛けといて、よくもまあこんなことができますね! 大体先輩は……」 優歌の言葉を、あゆみが手で制した。 「聞かなくてもある程度推理できるけど、何があったの?」 「あいつ……あの女……一体、なんなんだよ……」 喉の奥から絞り出すような調子で、松代は言う。 「俺は言ったんだよ、『朝霧さんって「クーゲルシュライバー」の斬嶋観月に似てるね』って。そしたら、あいつ何て言ったと思う?」 「あなた、何故それを知っているの? まさか、永治!?」 松代の問いかけに答えたのは、背後からの声であった。 「神崎先輩!?」 自動ドアを通り抜け、言葉と共に神崎イヅルがこちらに歩いてきた。 「マッツ、災難だったな」 「イヅル……お前、知ってたのか? あの子が、あんな中二病女だって!」 「真倉に聞いた。お前が声をかけようとしているのが、中村美咲だと」 「中村?」 「マッツが声を掛けた女子の本名だ。大鷺高校二年E組中村美咲。もっとも、本人は朝霧氷愛魅火が本名だと言い張っているがな」 聞けば、彼らの学年では悪い意味で有名な女子生徒だそうだ。神崎は、去年同じクラスでその言動をよく知っているとも言った。 「『クーゲルシュライバー』というラノベにのめりこんでいてな。自分がヒロインの一人、斬嶋観月のこの世界での姿のつもりらしい」 永治、というのが『クーゲルシュライバー』の主人公の名前だそうだ。 「右手に世界を滅ぼす能力『クーゲルシュライバー』を宿した主人公を、その力を狙う組織から守るために、美少女戦士が何人もやって来るっていう話なんだよ」 「斬嶋観月はその戦士の一人でな。主人公の宗方永治に好意を抱いているんだが、メインのヒロインではない。話の展開上、メインヒロインと永治がくっつくことは明白だから、悲恋が約束されているわけだ」 「ボクの推理によると、中村くんは観月が主人公と結ばれないことと、自分の事情か何かを重ねたんだろうね。それでその内、自分が観月になっちゃった。 自分イコール観月と永治はこの世界に逃げてきた。途中で妨害されて、はぐれてしまった永治を探さなくちゃならない。そう思い込んでるんだろうね」 「その幻想をぶち壊す、のは難しいだろうな」 「……病気ですよ、そんなの」 「妄想って怖いね」 あゆみはしれっと言ったが、どの口がそう言うんだ名探偵気取りが、と優歌はもやっとした気分になる。 「つーか、あゆみちゃん。中村美咲とかいうののこと、知ってたのかよ」 「うん。当然マッツくんも知ってるものだと思ってたから、止めなかったんだけど」 「真倉も勇気あるなあ、と呆れ……もとい褒めていたぞ」 「エミリさんに褒められたんじゃ、仕方ねえな」 「それでいいんですか!?」 どれだけエミリを妄信しているんだ、と不安になってくる。 「しかしマッツ、お前も大変なことになったものだ。去年あいつに付きまとわれた『永治』は一時学校に来なくなったぐらいだ」 去年は同じように声を掛けてきた相手を『永治』と見定め、つきまとっていたらしい。手紙や、どこで知ったのかメールでのアプローチがひっきりなしに続いたのだそうだ。 「自分は、その永治って人じゃないって言えばいいじゃないですか」 「そう言っても、あなたは洗脳されてるのよ! などと言ってくるだけだろう」 どれだけ自分に都合のいいように考えるんだ。洗脳されているのはどっちだよ、と思わず溜息が出る。 「まあ、つれない態度をとり続けてたら、飽きると思うし。四ヶ月ぐらい息を潜めるようにしてれば」 「リアルな数字ですね、四ヶ月って……」 去年もそれぐらいでやめたのだとか。 「マッツ、お前名乗ったか?」 「名前は言ったけど、クラスとかは言ってねえな」 「お前のクラスとは校舎も違うし、中村は普段教室に閉じこもっているから、極力お前も教室から出ずに、深海魚のように生きることだな」 「お、おう……」 松代は力なく返事した。ここに来る前と同じ「おう」であったが、ニュアンスも入った気持ちも全く違うものであった。 まだ師匠を手伝うことがある、と言うあゆみを残し、優歌たち三人は連れ立って学校に戻った。松代はげんなりとしており、口数も少なかった。 部室に入ると、エミリがソファーに座って、図書館で借りたのであろう文庫本を読んでいた。戻ってきた優歌たちに笑顔を向ける。 「おかえりなさい。とんだ蛮勇だったわね、マッツくん」 「て言うかエミリ先輩、先に言って下さいよ」 「黙っていた方が面白い展開になると思って……」 一応ヒントは出したのだけれど、と屈託のない顔を作ってエミリは首を傾げてみせた。 「確かに、今考えたらワケ有りっぽいこと言ってましたね」 誰と付き合おうと自由だとか、友達ではいてあげるとか、引っ掛かる物言いをしていた。 「その時点で気づかないと」 「無茶言わないでください」 どこかの自称名探偵じゃないんだから、と優歌は肩をすくめた。 「あー、くそ! どっかにいい子いないのかよ……」 ダメージは意外と深いようだ。結構期待していたのか、勝算があると踏んでいたのか。 「ここにいるぞ」 言って神崎は机から美少女ゲームのパッケージを取り上げた。ピンク髪の目の大きなヒロインが、にっこり微笑んでいる。 「それ触れねえじゃん……。俺は触りたいんだよ!」 「考えるな、感じるんだ」 バカな会話を繰り広げる男子二人をさて置いて、優歌は部室を見回した。 「あれ? そう言えば部長は?」 「そこにいるわ」 エミリはソファーの裏をあごでしゃくった。確かに緑色の何かがうずくまっている。 「ぶ、部長?」 無駄に目に優しい色づかいの物体へ声を掛けると、それはゆっくりと立ち上がった。肩までのストレートの黒髪が、緑色した肌に触れる。 緩慢な動作から一転、勢いよくこちらを向くと、昔はやったアニメの宇宙人のような顔色を笑顔にして、露子は言った。 「あたしの三人目の彼氏を紹介します!」 眉根を寄せる後輩に構わず、露子は右手を広げて突き出した。 「カマキリのイボジリ太郎くんです!」 右手の上に載っていたのは、折り紙で作られたカマキリであった。 「部長、器用ですね」 彼氏云々は捨ておいて、優歌はとりあえずそう言った。こういう場合はペースに巻き込まれたら負けだ。ここ二週間の経験を優歌は生かした。 「イボジリ太郎くんは三年生なのよ。ちょっとツリガネムシがお腹に入ってるけど、シスコンじゃないし、狩りの達人のナイスガイよ」 「部長、落ち着いてください」 笑顔だが、目が笑っていない。優歌は若干後ずさった。 「冬の前になったら、あたしは彼を食い殺してタマゴを作るのよ。あたしは死んじゃうけど、春になったら卵の中からあたしの分身が何百と糸を引きながら……」 「カマキリ孵化の描写とかいいですから!」 昆虫よばわりに相当傷ついたらしい。まったく、変なところでデリケートなんだから。 「ぜ、全裸部長……」 その原因を作った本人が、ふらふらと露子の下へと歩み寄る。 「いや、露子さん。あんたは、女神だ!」 それはないわー。優歌は心の中で呟いた。声に出してツッコむ気にもなれない。神崎も、エミリも概ねそう思っているようだった。 「マッツくんの国では、緑色のものを女神と呼ぶのかしら?」 「さあな。そこまで文化圏が違うとは思わなかったが……」 外野の声は聞こえていないのか、緑色の女神らしきものは本当の笑顔を取り戻した。 「マッツったら、もう! 今まで気付かないなんて、鈍いんだからぁ!」 「本当だよ。何で俺はこんな、いい女が近くにいるのに気付かなかったんだ……。あまつさえ、昆虫扱いしてしまうだなんて……」 「過去の罪に囚われてないで。あたしは間違いを赦す神よ!」 「ああ、露子さまー!」 「さあ、もっとあたしを讃えなさい!」 「女神ッ! 女神ッ! 女神ッ!」 「マッツのヤツ、見境がなくなってきているな」 「よほどショックだったんですね」 「心の治療が必要かしら」 異様な盛り上がりを見せる二人の様子を、優歌たちは冷めた目で見つめていた。 「今なら、ハグしてもいいわよ! 触りたいんでしょ?」 「いや、それはいいッス」 シュプレヒコールを止めて、急に真顔になった松代はあからさまな拒絶の態度を示した。 「塗料とかついたら、落とすの大変なんで……」 「よかった、理性が勝ったのね」 「急に冷静になりましたね……」 「賢者モードに入ったのだろう」 胸を撫で下ろす優歌以下三人とは対照的に、露子の顔色は赤黒く変化した。 「ふざんけんなー! ここまで乗せといてなんなのよー!」 叫び、イボジリ太郎を丸めて松代に投げつけると、また元のようにソファーの裏で体育座りをはじめた。 「……はっ! 俺は今まで何を?」 一方の松代は、最早紙屑になったイボジリ太郎を眉間に受けて、何やら目が覚めたかのような顔をしていた。 「悪い夢を見ていたんだ。何、すぐに忘れるさ」 「イヅル……」 「よかったわ、元に戻ってくれて」 「いやあ、エミリさんに心配かけるなんて面目ない」 「しかしあの、自称女神はどうする?」 「え? 何? 全裸部長まだすねてんの?」 本当に覚えてないのか、悪びれもせず松代は言った。 ソファーの後ろに隠れるようにしながら、その松代を露子がにらむ。 「何よ! あたしだってね、あたしだって、脊椎動物なんだからね!」 「そ、そこまで譲らなくても……」 人間って言えばいいのに。あの露子をなだめて家に帰るには、相当骨が折れるだろうな、とややうんざりする優歌であった。 |