五 来世でまた会おう その1


 その日の昼休みも、大鷺高校の食堂はいつものようにごった返していた。がやがやと響くしゃべり声を立てて押し合いへし合いしながら、薄汚れたトレイを手に、雑然と居並ぶ人、人、人。
 たまには食堂で食べてみよう、とチャイムが鳴ってすぐに馳せ参じたというのに、この状況。優歌は食堂の入り口で愕然とした。一緒に 来ていた小池亜衣も口をあんぐり開けて、中の様子を見ている。元々のんびりした性質の彼女は、こういう場所が苦手なのかもしれない。
 こんなにたくさんの人が来て、ご飯は足りるのだろうか。いや、それよりも座る席はあるのか。優歌は亜衣と顔を見合わせる。彼女も同じことを思ったのか、眉尻を下げた不安げな面持ちである。
「ほらほらほらほら、ボーっとしないの」
 もう一人の連れ、市川ルミがそういいながら優歌の手を引いた。
「取れる席もなくなっちゃうよ」
 積み上げられたトレイを上から三つ取り、優歌と亜衣に押し付ける。
「じゃあ、食券買ってね。向こうで売ってるし。で、で、ご飯の受け取りが麺類こっち、どんぶりそっち、定食あっちね」
 早口でそう説明すると、ルミは券売機の方へずんずん歩いていく。慌てて優歌も後を追った。何と言うか、彼女は随分手馴れていた。人の波をするりと抜けて、すぐに券売機に並ぶ列にたどり着いている。
 ごつごつと人ごみに体をぶつけ合い、無秩序にぐねぐねと曲がった列に混乱させられながらも、ようやく優歌は定食をトレイの上に置いた。入ってから既に十分以上経っている。
 先に行ったルミは? 高い身長を更に伸ばすようにして、食堂の中を見回し、小柄な彼女の姿を探す。席には座っていないようだ。当たり前か、どこもいっぱい……!
 入り口から見て一番奥、右端の長机にだけ、空席があった。六人掛けの机に、三人しか座っていない。うろうろと席を探している人間もいる中で、誰もそちらには近付かない。
 左の窓側の辺りに立っていたルミを呼んで、優歌はその空席へ歩を進める。しかし、途中で思わず、その足を止めてしまった。
 先客の三人は見知った顔であった。自由創作部の先輩たちだ。
「どしたの?」
 追いついてきたルミが怪訝な表情で、優歌の顔を覗き込んでくる。
 もし優歌が一人で来ているならば、この食堂にたった一人だなんて考えたくないが、迷わず彼らに混ざれただろう。
 だが、今は連れがいる。少々せっかちだったり、のんびりすぎたりはするが、およそ常識的な二人だ。変態魔境に連れ込むのは、いつぞやの吾郎の言葉ではないが、ピラニアの群れに牛肉を投げ込むが如し、だ。
 それだけならまだいいが、優歌もピラニアの一匹と見なされたら? これから先、三年間の人間関係は絶望的と言っていいだろう。
「いや、ちょっとその……」
 説明しあぐねていると、新たな声が響く。
「優歌ちゃんじゃない。こっち来なさいよ、空いてるわよ」
 見つかってしまった。しかも露子にだ。彼女の向かいに座る二人、神崎と松代とも完全に目が合ってしまった。せめて露子がいなければ笑顔で席につけたのに、と内心いらいらする。
「ほら、早く来なさいよー」
「何か呼んでるよ? 知り合い?」
「うん……クラブの先輩」
「え? そうなんだ! じゃあいいじゃん。呼んでくれてるし」
 優歌はルミにまた引っ張られるようにして連れて行かれた。
「初めまして、市川ルミって言います」
 トレイを抱え、ルミは三人に元気よく挨拶した。
「優歌ちゃんの友達?」
 まあ座りなさい、と露子は言って自分の二つ横の椅子を勧める。優歌はその向かい、神崎の隣に座った。
「あたしは七条露子。自由創作部の部長よ。ところで市川さんはボ……」
「部長、すまないがそこのソースを取ってくれないか?」
 露子の言葉を遮るようにして、神崎は彼女の傍らのラックにまとめて置かれた、調味料のビンを指す。
「ああ、うん。いいけど……」
 そう言って露子はソースのビンを神崎に渡した。
 神崎先輩ナイスフォロー。優歌は内心で呟く。露子は「ボ」と言いかけた。「ボ」で始まる彼女の言いそうな言葉など、ボディペイントしか考えられない。こういう勧誘をところ構わずにするから、ここに混ざりたくなかったのだ。
「ところで、なんですか?」
 止せばいいのに、ルミは尋ね返した。
「ああ、あのね、ボディ……」
「あー、部長!」
 今度は松代が大声を上げて彼女の話を遮る。
「何よマッツ?」
 不機嫌そうに露子は斜向かいの松代をにらむ。
「すんません、エミリさんから伝言頼まれてたの忘れてた……ました。予算の関係で部長の判がいるって」
 ぎこちない敬語と大仰な仕草で松代は言った。
「えー、そんなの放課後でいいじゃん」
 ルミが聞き返してきたのに手ごたえを感じているのか、露子は食い下がる。
「今日の昼休みまでなんで、行かないと『嘆きの谷』……」
「くそ、あの性悪牛チチムッツリ女!」
 悪態をついて露子は立ち上がる。
「ごめんね、市川さん。また今度ゆっくり……」
「部長、急いだ方が」
 分かってるわよ、と口を尖らせて、露子は自分のトレイを持って行ってしまった。
「ふう、セーフ」
 大きく息をついて松代は背もたれに身を預けた。
「お、お疲れ様です」
「なあに、俺は全ての女子の味方だからな」
 優歌に親指を立ててみせた。
「部長さん、何を言いかけてたんだろう?」
「恐らくはクラブの勧誘だろう」
「ああ、だったらだったら、ちょっと無理です。運動部なんで、兼部は難しいです」
「何、気にすることはない。部長は思いつきで動いているだけだからな」
 言いながら神崎は、ソースを調味料のラックに戻した。
「掛けないんですか?」
「うむ。食べ終わっていた」
 不思議そうな顔をするルミに、優歌は慌てて話題を変えた。
「そ、そう言えば亜衣ちゃんは?」
「え? 優歌ちゃんと一緒だと思ってたけど……」
 後ろを振り返ると、亜衣はまだ券売機に並んでいるところであった。



 露子がいなくなったのを見計らったかのように、優歌たちの座るテーブルにも人が押し寄せてきので、松代がルミの隣に回り、席を一つずつ詰めた。
「実際見計らっているからな」
 ぼそり、と神崎は言った。
「まあ、俺もマッツもそれを当て込んで、部長と食堂に来ているわけだが」
 やはり、と言うか他の生徒は露子を避けていたらしい。神崎と松代は、確実に座るために彼女を利用しているのだそうだ。
「利用ってのはちょっと人聞き悪いぜ。一緒に昼飯食べてやってるんだよ。さすがに全裸部長でも、一人飯はかわいそうだからな」
 もうあたし引っ張ってくる、と未だ食券も買えていない亜衣のところへルミが向かったため、遠慮なく松代は言った。そういう同情心も少しはあるのだと。
「でも、先輩たちも同類だと思われません?」
「普段は他人のフリをしているし、同学年以上からは被害者だと思われているからな」
 強かだなあ、と呆れ半分関心半分の調子で優歌は溜息をついた。
「避けられてる人と言えばマッツ先輩、あのヒメミカとかいう人と、どうなりました?」
 例の図書館の騒動から一週間、松代が部室に顔を出さないので、今日は久しぶりの再会であった。何かアクションはあったのだろうか、と優歌も気になっていた。
「それが予想外の事になってよ」
「もう何が起きても驚きませんよ」
「そうか、もう何も怖くない、か」
「含みのある言い方ですね……」
 したり顔でうなずく神崎を見ると、背筋が寒くなる。
「中村はあまり出歩く方ではないはずなんだが……ここ最近、頻繁に廊下で見かける」
「え? じゃあ、マッツ先輩も出くわしたりしたんですか?」
「二、三回廊下ですれ違ったんだけど、特にリアクションがなくてよ……」
 いや、違うな。リアクションはあるんだ、と松代は言い直す。
「露骨に無視してくんだよ。目が合ったのに、ぷい! みたいな」
 そう言って顔を背ける真似をした。
「ま、まあ無視されてるんならいいんじゃ……」
 露骨に、と言うのは気にはなるが、危惧していたつけ回されるような状態になっていないのなら、安心ではないのだろうか。
「だから俺この間、何で無視するんだよって聞いたんだよ」
「話しかけたんですか!?」
 無謀な愚者なのか、果敢な勇者なのか。と言うかそんな勇気があるなら、あの図書館での時も別に自分の助けは要らなかったんじゃ、などと優歌は思う。
「そしたら、あなたは永治じゃないから、って言われて」
「魂の色が違うそうだ」
「……何色なのか言わせてみたらどうです?」
 どこの電波を受信しているのか知らないが、具体的なのは効果がありそうだ。
「伊東はやはり、真倉と同じことを言うなあ」
「……今の発言、なかったことにしてくれません?」
 しきりにうなずく神崎に、優歌は頭を抱える。もう腹をくくって、性悪担当として生きていくべきなんだろうか。
「お前はバカな黄色だって言われたよ」
 聞いてはみたらしい。
「それは何て言うか、ぴったりかと」
「おいおい」
「伊東はやはり、真倉と同じことを……」
「ちょ、なしで! なしでお願いします!」
「後は笑顔で人の欠点をあげつらえるようになれば、更に前進できるぞ」
「ぜ、善処します」
 そうならないように、と心の中で付け加える。
「んでまあ、しばらく話してるうちに、結構なじんじまってさ」
「はい?」
「メアドも交換して、何て言うか、色々あったけど、計画通り?」
「えー……」
 あんなに嫌がっていたのに。照れたように笑う松代に、優歌は派手にのけぞった。
「いいんですか、それで?」
「ああ、カワイイしな! おばあちゃんも言ってた、カワイイは正義だと」
 どこのババアのセリフだよ、と優歌はじっとりと松代をにらんだ。
「男の人って、結局顔なんですね」
「当ったり前だろ」
 この上なく爽やかに切り返してきた。
「そしていくつも愛を持っているし、あちこちにばら撒いて、女子を困らせるのさ」
「嫌なラブソングもあったものですね」
「イヅルはばら撒きまくりだもんな」
「え!?」
 三次元は大惨事、などと言っておいて、そんなに女子に声をかけているのだろうか。
「こいつ、新しいアニメやるたびに、嫁が変わってるんだぜ」
「ああ……」
 ホッとしたような、がっかりしたような、言いようのない感情が溜息となって出た。
「人聞きの悪いことを言うな、マッツ」
 少し不機嫌そうに、神崎は言った。
「変わってるんじゃない、増えていってるんだ。皆、等しく嫁だよ」
 神崎は両手を広げて微笑した。彼の微笑みは珍しく、優歌は少しどきりとするが、微笑んだ理由がアレなので、すぐにげんなりとなる。
「そうだったのか! イヅル……お前は、男の鑑だぜ!」
 優歌には理解できない部分で、男子二人は妙な盛り上がっていた。
「もう勝手にしてください……」
 優歌がそう言った時、ルミがようやく亜衣を連れて戻ってきたので、この話題はここまでになった。





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