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act.11 森のクマさん


 駅前広場がオレンジ色に染まっている。そんな中を、風船配りの黄色いクマとピンクのウサギがガキどもを追い回していた。中身の状態でアレをやったら、即逮捕だろう。
 まあそれはともかく、どこをどう歩いたか覚えていないし特に感慨もないが、漸く解放されるようだ。それだけが素直に嬉しい。
「咲ちゃん、さ」
 学級委員長女はあたしを見下ろすようにして言う。ヒールの高い靴のせいだが、異常にムカつく。これを根拠にこの女をバラバラにして殺すのが、妥当に思えるほどに。情状酌量も付くかも。
「まだ時間、大丈夫?」
 大丈夫なワケがない。精神衛生上悪すぎる。お前にこれ以上時間をやるつもりはない。 むしろ返せ、今まであたしに無駄に費やさせた3時間42分36秒を。
「やっぱり門限とか厳しいんだ?お嬢様だもんね」
 オジョウサマがうまくお嬢様に変換されなかった。
 こいつは何を言ってるんだ?そういう目であたしを見ていたとしたら、それは大きな間違いだ。確かに世帯主の所得はふつうより多いかもしれないが、それだけ。
 本当のお嬢様はバナナを切らずに食べたり、他人に万引きさせる為に文房具屋に入り浸ったり、横にいる人間を惨殺しようとはしないものですわよ。
「じゃあ、残念だけどここで……。また機会があったら」
 残念なワケもなくむしろ歓迎すべき事態で、機会があってもなくても嫌なものは嫌なのだが、社交辞令でそう言った。あたしの表面はそういうウロコで覆われてるから。
「うん、じゃあね」
 何となく寂しそうな学級委員長女にあたしは背を向けた。校舎でカツアゲされていた場面を、ちらりと思い出すような口調と表情だった。
 寂しそう、か。例えそうだとしても、表面で被り続けている「わたし」のペルソナだって、そんな他人の感情を優先するほどお人好しではない。
 そう見えたのは夕陽のせいだ、と割り切る。
 そこで、誰かがあたしの肩を掴んだ。
 佐藤葵か、と一瞬思ったが違う。もっと大きくて、ざらっとした感触が服越しに伝わってくる。
 これは人間のものじゃない。幼稚園くらいの頃、世帯主のクライアントがくれたアメリカ製の起毛の少ないぬいぐるみのような手触りだった。
 嫌な物を思い出させやがる。どことなくベタつくようなそれを、あたしは好きじゃなかったんだ。
 ぬいぐるみ?
 もしかして、さっきからこの広場を歩き回っている風船配りのクマかウサギか?
 何故それがあたしの肩を掴む?
 風船をくれるのか?
 バカにするな、確かにあたしはちょっと背は低いが小学生じゃない。と言うか間違えないだろ普通。
 一瞬で駆け巡った思考を中断させて、とりあえず振り返ると、黄色いクマが左手に色とりどりの風船を携えて立っていた。
「よう、咲」
 くぐもった声でクマは言う。
 その声には聞き覚えがあった。何となく、裸になることを警戒させる声だ。まあ、裸になりたくなる声など聞いた事ないのだが。
 あ、裸って事は……。
「お兄……ちゃん?」
 クマはうなずいて風船を差し出してきた。いらねっての。
「いらねーの?お前、風船好きだったじゃん?」
 いつの話だ。まったく心当たりがない。
 末っ子というのは何と言ってもここが嫌なところだ。あたしが覚えてない所を、今のあたしに責任がない事を、周りの人間が全て覚えていやがる。そいつらの記憶のあたしは、あたしであってあたしでないのに。
「……何してるの?」
 一目瞭然なのだが、一応聞いておく。
「バイトだよ、バイト。見たら分かるだろ?」
 何故だがクマは少しムッとした口調になった。
 社交辞令だよ、社交辞令。聞けば分かるだろ?
「ケータイ会社のキャンペーンでな。今なら最大20%引き!どうよ?」
 そう言ってクマは風船の紐についた紙を顔に近づけてくる。あたしにとってはケータイも風船も同じような物なのに。つまり、持ってて仕方ない物。
 大体あたしに話しかけてる暇があったら、あの辺のガキどもに配ってくればいいと思うのだが。昼間見た限りでは、最近のガキはアイドルに発情するほどマセてるんだし、ケータイだって欲しがるだろう。その方がよっぽど効率的な気がする。
 あたしがそう言おうとした時、クマの右肩を白い手が叩いた。
「ちょっと、あんたあたしのトモダチに何してんのよ!ケーサツ呼ぶわよ!!」
 佐藤葵だ。まだいやがったか。とっとと帰れカンチガイ女。
 にしても、いきなり風船配りのクマたんを犯罪者扱いか。いい根性してるな。最近は物騒とはいえ、ただのバイトさんに決まってるのに。
 しかも、既にトモダチ呼ばわりか。いい根性してるな。あたしは今日、一つとしてお前の話など聞いていなかったのに。
「いや、俺は……」
「いいから離れろよ!」
 佐藤葵はそう叫んでクマを突き飛ばした。
 よろめくクマ。
 その拍子に左手の風船がバラバラと、橙色の空に吸い込まれていった。
「あ」
 あたしとクマと佐藤葵は、ある種幻想的なその情景を呆然と見上げた。


「本っっ当にごめんなさい!!」
 佐藤葵は、上役にシボられて事務所から出てきたクマの中身に頭を下げた。風船が飛んでいった空はとっくに暮れて、銀色の星々がちらほらと瞬いていた。
「いや、いいよホント。まあクビにはならなかったし」
 妙に愛想のいい笑顔で言うと、クマの中身はあたしに向き直って小さな声で言う。
「中々アグレッシブな友達がいるんだな。ちょっとビビった」
「うん」
 そのアグレッシブがいい意味なのか悪い意味なのか図りかねたので、曖昧にうなずいておいた。友達なんぞじゃない事は後々言っておこう。
「じゃあな、早く帰ってこいよ。義母さんには俺が言っておいてやるから。」
 そう言って元クマの同居人は、あたしを置いて一人でさっさと歩き出した。ちょっと待て。あたし残るのかここに?お願いだから佐藤と二人にしないでくれ。
「お兄さんのお墨付きが出たわね。よかった!」
 一つもよくない。また流されてる。今日の波はあたしが繰れるほど弱くはないらしい。
「じゃ、行こうか」
 そう言って佐藤はさっさと歩き出した。おいこら、まず行き先を言えよ。いや、行きたくないけどもさ。
「ほら、早く!」
 仕方ないのであたしは佐藤の後ろを歩き出す。ここで一人ボーっとしてるのもどうかと思うし、ここまで来て帰るのは気まずい。いや、気まずくなってもいいんだけれど……。
 そうだよ、気まずくなっていいんじゃないか。こんないじめられっ子と仲良くしても、何の得もない。大体気にくわない相手なのだし。一緒にいて不快なのだ。とっとと方向転換して走れば先を行く同居人に追いつけるし。
 ただ、問題なのは帰って快が待っているかどうか、だ。勉強?それもいいだろうが、楽しみにはなりえないな。なら寝るぐらいしか楽しみがない。中年女とまともに会話なんてゴメンだ。世帯主は最近、満月の日の狼男のように気が立っていて、いつも以上に会話が成り立たないだろう。ならば部屋で一人うだうだしてるだけじゃないか。それは快ではないから、不快である、と考えられる。
 弱った。どっちも不快じゃないか。ミルのおっさんはあたしを助けてくれないようだ。
 そんな功利主義者に見捨てられたあたしに、天の声が降り注ぐ。
 ――どっちもクソだと思うなら、楽にやれるほうを選べ。
 そりゃあそうだ。誰だってそうする。あたしだってそうしよう。
 ふむ、この場合は二対一や一対一対一のような泥沼に陥らない、佐藤葵を選ぶほうが賢明だろう。そのまま進むことにした。


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