act.14 夢想


 次の日、あたしはカッターナイフを忍ばせて登校した。そして、朝っぱらから絡んできたやんちゃ男子のリーダー格を有無も言わせず刺した。
 何が起こったかも分からず、腹から血を流しながら倒れる男子を見下ろして、あたしは鼻を鳴らした。そして、冷静にナイフを抜き佐藤っぽい女を見た。
 女は呆けた表情で立っていた。周りも概ねそんな感じだった。あたしは彼女のそばによると、汚れた血で光るナイフで顔を切りつけた。
 とっさに佐藤は、いや佐藤じゃないか、佐藤似の女は腕で顔をかばった。腕の間から血が流れる。腹を蹴飛ばすとうずくまった。髪を掴んで首を引き上げ、眼窩にナイフを突き立てた。ゼリーを潰すような感覚があって、佐藤似は気絶する。
 次に取り巻きに踊りかかる。そこでやっと時は動き出す。
 悲鳴と怒号の嵐。
 逃げ惑う獲物たち。
 狩る者と狩られる者の逆転。
 教室は、陰鬱な空気の漂う無間地獄から、弱肉強食の修羅道に変貌した。つまりはどっちにしろ地獄なのである。
 誰かが廊下に走り出た。あたしは追っかけて刺した。隣の担任が悲鳴を上げる。
 誰かが非常ベルを鳴らす。バカだ。それは火事の時だろ。
 整列して避難しなさいって?「おはし」の心で?「おさない、はしらない、しずかに」なんて言ってる場合じゃないのに?後ろから殺人鬼は「おおきく、はずかしめられて、しね」の心で人を襲っているのに?
 他の学年の教室からも人が出てくる出てくる。辺り騒然。ところ構わず刺すあたし。教師がさすまた持って飛び掛ってきた。ギリで避ける。次も、その次も。
 だが、その次は避けてから刺した。あのクソな担任だったから。OK、これで満足。そろそろ刃も尽きてきたし。
 もし替え刃があるなら、自殺未遂のブリーフ臭男を刺してやりたい所なのだが。あなたの死にたいって望み、この血みどろ魔法少女キリサキちゃんが叶えてあげるよ!ってな具合に。
 担任に突き立てたナイフを抜かずに座り込んだあたしを、体育教師が取り押さえた。
 そして、すぐにパトカーでドナドナ。天下の未成年様ですから、死刑にはなりませんでしたっと。


 ……ごめん、刺して大暴れしたとかウソ。そういう夢を見てたとか、妄想したとか、そんな感じ。乙女の特権ってヤツ。その頃、現実では自殺未遂が露見し、問題になっていた。
 緊急でPTA総会やら何やらが開かれて、あたしは当時も今も変わらないクソなクオリティを保つ世帯主に、いじめの事実を確認された。
 あたしは見て見ぬふりしか出来なかった、と申し訳なさそうな顔をして言った。これが多分、大人に対して初めてした演技だった。実際はそんな感情、ブリーフくさ男に抱いてはいなかったし、あたし自身がいじめられていたのだから見て見ぬふりどころじゃない、立派な当事者様だ。
 ところが、申し訳なさそうなふりをする必要はなかったようだ。世帯主はそれでいいんだ、と言って、こんな学校は転校すべきだと主張し始めた。つまり、「我が身が一番可愛い」というポリシーはスバラシー、という意味だろう。これは唯一、ヤツの教えでうなずけることだ。
 世帯主のヤツが何か言い始めると、家の中で逆らえる奴はいない。当時も今も、止めるヤツはいないのだ。結局あたしはすぐ転校して、そっちの学校を卒業した。いじめは顕在化したが、あたしがいじめられていた事は闇に葬られた。あたしはあいつらに会わなければ、それでよかったし。
 因みに、転校先の学校はいじめ0を標榜していたので、特に何もなかった。大した思い出も、何もない。しょーもない話である。
 小学校と言うと、思い出すのはこんな話。だから、あたしは小学校が嫌い。小学生が嫌い。昔の話が嫌い。昔のイイ子ちゃんぶってた自分も、いじめられてひねた自分も嫌い、嫌い、嫌い。
 まあ何だ、この経験を踏まえた結果が、中学・高校での見えない子状態である。当たり障りのない所で笑って、うなずいて、総意と自分の意見を一致させて。そのお陰か、顔見知り程度の仲のヤツしかいなかったクセに、いじめられはしなかった。けれどもあたしがされなかっただけで、いじめはクラスにあった。それで不登校になったヤツもいた。
 いじめたヤツはクソだ。いじめられてヒッキーになったヤツもクソだ。見て見ぬふりのあたしもクソだ。ある意味昔のほうがマシじゃね?本気で自己嫌悪。
 どうした高村咲?一人で世の中を変えるつもりか?
 まあ、そりゃ「いいえ」なんだけど、さ。でも、あたしはこれでも知ってるから。そういうのを自分の痛みとして、ね。


 懐中電灯の明かりだけを頼りに、あたしと佐藤はある種独特の臭いのする廊下を進む。この臭いの原因は、教室の前にかけられたたくさんの雑巾からだろうか。それとも、消火用水のバケツに入った、腐った水からだろうか。
 もしかしたら、実際はそんな臭いはしていなくて、この辺りを覆う蒼い闇にあたしの心の底のかの思い出が感応しているだけなのかもしれない。
 佐藤は無言で歩く。だからあたしも無言。昼間よりよっぽど楽。けれども、あたしはこの小学校の雰囲気に飲み込まれそうだった。何もかもが嫌な物を思い出させる。
 表札のない教室を三つとトイレ、そして五年生の教室を三つを通り過ぎると、道が二手に分かれた。右に曲がると二階に下りる階段、真っ直ぐ進むと六年生の教室だ。
 佐藤は無言で右に曲がった。階段を歩く音が、カーンカーンとやけに響く。この音を聞きつけて、得体の知れないものが後ろから現れるような気がしたが、あたしの方がよっぽど得体の知れないものだから、大丈夫な自信があった。むしろ、佐藤より気が合うかもしれない。
 階段を降りると、渡り廊下があった。廊下の向うは管理棟、特別教室がある棟になっている。そこは、教室棟に比べて尋常じゃなく暗かった。世界が違う。教室棟が蒼い闇ならば、こっちは黒い闇である。佐藤が何故か持っていた懐中電灯の光が、本格的に頼りなく思える。
 何となくホコリっぽい臭いがした。そう言えばここに理科室もあるんだった。人体模型が夜な夜な歩き回る話を、あたしは思い出した。
 そうだ。この話をどこで聞いたんだろう?卒業した方の小学校だった気がする。クラスメイトの顔も覚えていないのに、どうしてこういうくだらない事は覚えてるんだろうか?
 佐藤は、管理棟に入ってすぐの所にある階段に足をかける。階段の上には闇が大きな口を開けていた。上に上るのに、その向うは地獄のような気がした。
 階段を上っていると、右から呼ばれたような気がした。勿論気のせいだろうが、気になったので横を見る。何もない。
 手すり越しに下の廊下を見下ろすと、何故か黒板があった。左端に赤いチョークで描かれた蝶の絵が、何故かこの暗闇の中でくっきり見えた。落書きか、それともそういう掲示なのか作品なのか。
 そんな事を考えている間に、佐藤はどんどん階段を上り、三階についていた。あたしは手すりを頼りに、一歩ずつ慎重に降りた。
 佐藤は次の階段の前で待っていた。しかし、あたしが降りてきても言わずにさっさと歩き出す。こら、説明しろ。ここにいるのがお前の言う運命ならば、その運命に従って何をしようとしているのかを。


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