act.22 青は動き出す


 階下に下りると、佐藤と兄貴が玄関に並んで座っていた。後姿を見ると、少し深刻そうであり、また別れ話をしているカップルのようにも見えた。
 足音に気付いたのか、佐藤が振り返った。彼女はあたしの顔を見ると、一瞬表情が明るくなり、次いでとても怪訝そうな顔をした。それは見本になるくらい怪訝な表情だった。
 一瞬、失礼なヤツだなと思ったが、すぐにそれは仕方ない事だと気が付いた。何故ならあたしは今、夏休みだというのに冬物の学校指定のブレザーを着て、あまつさえ日本刀を携えているのだから。機関銃にはセーラー服かもしれないが、古めかしい日本刀にはこのいかにも進学校然とした地味なブレザーが似合うとあたしは思うのだが……。
「お前、それって……」
 兄貴の視線は日本刀に注がれている。鞘に入ったこの刀は、彼とあたしの種を生産した男の息の根を止めた凶器だった。血を拭ったのは失敗だったかな、自首する人間的に考えて、と今更思った。
「気にしないで、服があんまり見当たらないもんだから」
「そ、そうなの……?」
「そうなの」
 日本刀に関しては、突っ込む気力もないようだった。まあされたら困るから、珍しく空気読んだじゃないか、と褒めてやりたい気分だが。
「で、何?」
「あ、そのさあ……」
 ちらり、と兄貴の方を見る。聞かれたくないってか。じゃあ、奥に……ってそこはいまや死体置き場か。
「ごめん、ちょっと部屋に行っといてくれる?」
「ああ、そうだな。じゃあ、茶……も出せないけど、ゆっくり……」
 そう言って兄貴は玄関を入ってすぐ、トイレの隣の自分の部屋に引っ込んだ。ドアの閉まる音を聞いてから、あたしは佐藤葵に尋ねた。
「何かあったの?」
「実はね、クロと話し合おうと思ったのよ」
 誰?飼ってるネコだっけ?ネコと話すとか、遂に頭がかわいそうな人の仲間入りか? なんて、冗談。あの例の小学校の時から友達だったとか言ういじめっ子だろ?そういや、そいつさっきお前の事探してたぞ。
「え、それで?」
 それが分かっても、そうとしか言えない。相槌って相変わらず難しい。そのままだらだらとしゃべり続けてくれればいいのに。
「でも、やっぱり怖くて。あの子の口から、あたしを否定するような言葉が出たら……。そう思ったら、会えなかった」
 会えなかったって、多分こいつ呼び出しといてバックれたんだろうな。そういうところがいじめられる原因だとお前はとっとと理解した方がいいとあたしは思うけど。だからハンネで黒川はうろうろしていたのか。
「で、何でうちに来たの?」
 つい突っかかるような言い方になってしまう。危ない、自重しよう。自重?何でそんな事考えるんだあたし。口で人を傷つけるくらいどうってことないだろう。今のあたしは人殺し、いや親殺しなんだから。
「来ちゃ、ダメだった?」
 うーん、今日は出来ればやめて欲しかったな。他の日だったら、あの弁当作る中年女が「まあまあ」とか言って出迎えたんだが。
「実はね、一緒に来て欲しかったの。クロと会うのに」
「何で?」
 あんまりな切り返しだ。佐藤は一瞬虚を突かれたような表情になり、そして笑顔を作って言った。
「勇気が、出るからかな?」
 それは本当に作られた笑顔なのに、そういう言葉を紡がれるとあたしも少しジンと来る。こういうゴッコ遊びの経験が乏しいせいだろうか。そういうゴッコ遊びをする前に、大きなリアルとぶつかってしまったせいだろうか。
「人と一緒にいるかどうかって、すごく重要よね」
「うん」
 一応同意してやった。実際には自然にうなずいていたのと五分五分ぐらいだったけど。
「ダメかな?今から……」
 クロが応じてくれればだけど、と佐藤は付け加えた。
 あたしだったら応じないけどな、とあたしは思っていた。でも、きっと黒川は……。
「佐藤葵」
 突然改まった口調になり、尚且つフルネームを呼び捨てにしたあたしに、彼女は少し驚いたようだった。
「一人で行って」
「あ、今日何かあるんだ?」
 佐藤は尋ねた。
「ううん、特にない」
 あたしはウソをついた。あたしが今までついてきたウソの中では大分マシな部類だけど、これを言わないとすっきり出来ないだろうから。あたしも、佐藤も。
「あんたがウザいだけよ」
 ウザい、なんて口に出すのは初めてだった。これだけは誓ってそうだ、初めてだ。
「え?」
 目が点になった。本当にお手本のような表情をする女だ。
「鬱陶しいのよ。自分がいじめられる原因も考えずに、一人でうだうだして、自殺とか考えてバカじゃないの?そんな逃げを打って何になるの?わたしも含めたあんたを嫌いなやつが得するだけじゃないの」
 自殺はオススメできない方法なのだ。あたしはそれを鈴木茜から託され、更にこいつにバトンを渡さなくてはならない。
「さ、咲ちゃん……?」
「何もかもから逃げられるわけじゃないでしょ、必死になってもウソついても我慢しても、人間絶対限界が来るんだから。立ち向わなくちゃならないときが必ず来るのよ。それなのにここに来て、またうだうだしてる。何がしたいんだよホント」
 佐藤葵は段々腹が立ってきたのか、立ち上がって言った。完全にケンカ腰だった。
「じゃあ、あたしはどうしたらいいのよ!?」
「話し合えばいいと思うよ」
 あたしはそう言った。
 鈴木茜は自殺はオススメ出来ないと言って、自殺した。
 あたしは人を殺した後だから、殺人がどれほどオススメ出来ないか知っている。
 なら、佐藤葵はどうすべきか。
「だから帰れよ。帰って、黒川さんと話し合いなよ」
 そう、話し合うべきだ。生きるために必要なんだろう、彼女が。いや、人間との関わりが。
「あたしは黒川さんの代わりにはならない。これから先、あんたの前に現れる事はないからね」
「なんで?」
 まだ見せ掛けの友情は続くと思ってるのかこの女は。ウザいと言ってやったのに。もしかして言われ慣れて効果なかったか?
「わたしはあんたが嫌いなのよ。ウザいと思ってる」
 だからよ、とあたしが言うと、佐藤は唇をかんで顔を背けた。赤い顔をしていた。泣きそうな顔なのか、怒っている顔なのか、よく分からなかった。
「そんな人だとは、思わなかったわ……」
「そのセリフは、誰かにあたしの事聞かれた時に言っといて」
 とっとと行きなよ、とあたしが言うと、ふらふらと佐藤は出て行った。
 戸を開けて、外に出ようとした彼女の背中にあたしはこう言った。
「わたしはあんたが嫌い。でも、黒川さんはどうかな?さっき、ハンネで会った時、あんたの事探してたけど」
 佐藤葵は返事をしなかった。返事はしなかったが、立ち止まって聞いていた。聞き終わったら外に出て、玄関の戸を閉めた。
 佐藤が出て行ってすぐに、あたしの背中でカチャリと音がした。タイミングを見計らっていたのだろう。
「全部聞こえてた」
 聞いてたの間違いだろ。立ち聞きは遺伝か?あ、血は繋がってなかったか。
「酷すぎるだろ、あれは」
 兄貴には分からない。あたしは暫く、いやもしかしたら永久に娑婆から消えるんだから。これぐらいが丁度いいじゃないか。
「後悔してるだろ?一応は『お別れ』の挨拶なのに、あんな事して」
「別に……してないよ」
 あたしはようやく返事をした。
「じゃあ何でお前、泣いてるんだよ?」
 あたしは頬を伝う温かい水滴を感じていた。


 兄貴はあたしが泣き止むのを待ってくれた。そして少し悲しそうな顔をして、振り返ったあたしの顔を見た。今度は彼が泣き出しそうな気がした。
「行こうか」
 どこに、とは言わなかった。二人ともよく知っていて言うまでもない事だから。
「うん」
 あたしは強くうなずいて兄貴の隣に立った。そして、傍らの刀を取り次の地獄に向かって歩き出した。
 現実なんてクソだ。だが、ここよりも悪い所なんて無くて、ここよりもいい所もない。きっと、この先もそれは同じで、それでいて少し違っているんだろう。
 今までのあたしと、これからのわたしのように。
「……まだまだ、先は長いぞ」
 玄関を出がけ、兄貴はボソッと言った。


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