第十一話 僕にとって 今年の秋はいつもの秋より……



 長くなりそうな気がする。欠伸をかみ殺しながら僕はそう思った。
 なにせ昨日は人生初の午前様だったのだから、起きているのが僥倖だと言える。いやマジで。
 目の前では英語担当で尚且つこのクラスの担任の落田教諭が脱線している。
長くなりそうなのはこれだ。
 さっきまで教材を和訳しながら「右脳と左脳は巧く切り替えなければだなー。」と 言っていた筈なのに、
いつの間にか「僕の家で飼っている、犬のキリストはなー。」となり、
「光というのは、聖書の初めに『レトゼアビィルァイトゥ』と書かれている様になー」を経て、
今は「サンフランシスコ平和条約は1953年、いや52年やったかなー。」となっている。
 因みに「レトゼアビィルァイトゥ」は「Let there be light」の事らしく、
またサンフランシスコ平和条約は1951年だ。

  それでも寝ないのには理由がある。
 授業の初めに、机に突っ伏していた生徒――小中と言って僕と同じクラブの奴だ――
を何故か立たせ(しかも実際は寝てなかったようだ)「集中力が足りないからだ」と
ねちねち叱りつけ、さらにはそこから授業に入っていった。
 導入で叱られるのもたまったもんじゃないが、彼の場合はその為じゃない。
単に前の授業で騒がれて、機嫌が悪いからというのがその最たる理由のようだ。
 それで目の前で突っ伏している小中を立たせた。
 他にも寝ていた奴――神庭とか、林も寝ていたな――もいたというのに。
「いいかー、テストには出さないがなー」
 じゃあ言うなよ。言うにしてもせめてテスト範囲が終わってからにして欲しい。
彼はいつも時間が足りないのだから。
 そう突っ込みを心の中でいれた時、ちょうどキムコムとチャイムが鳴った。
 終わりだ!左斜め後ろの席で気の早い多摩川が席を立とうとしている。
「多摩川君、もう少し待ってくれるか?」
「はあ?」
 教師にぞんざいな態度をとることで有名な多摩川は、如何にも不満タラタラな
口調でそう言った。
「もう少し、このページが終わるまでな。」
 さっさとやれよ、と呟くと多摩川はしぶしぶ席に着く。
 多摩川の両隣に座る九渡と田沼、それから僕の二個前に座る八宮がくすりと笑った。
 また前で落田が喋りだす。でも殆ど誰も聞いていない。
 初めに注意された生徒――小中ももう机に突っ伏している。
 落田の授業延長は日常茶飯事だ。

   日常………?今の僕には、この言葉が心のどこかで引っかかる。
 鞄の中に銃を、昨日もらった銃を忍ばせている今の僕には。
 蟻の穴から堤も崩れるように、僕の日常も小さな昨日の出来事という穴から崩壊を
始めているのかもしれない。

 やっと落田が立ち去り(授業をしてくれたわけだが、そんな気分になった)、休み時間になった。
もう3分ぐらいしか残ってないけれど。
 席でグダっとしていると、隣の席の鹿島が話しかけてきた。
「珍しく寝てなかったな。」
「そんなにいつも寝てない。」
「嘘だ。」
「いやいやいやいや……。」
 その事に関しては断固として否定する。僕は普段そんなに寝ていないはずだ。
 普段……?
そこでふいっと思い立ち、鹿島に日常が崩れるという話をしようと思った。
「鹿島、昨日の事だけどさ……。」
「しっ!」
 鹿島が唇に指を当てて鋭く僕の言葉を制した。そして前の方を指差す。
見るとクラスメイトの家鴨小路天いえがもこうじてんがいた。
 昨日、ここにいる人間以外にここであった事を喋ってはいけないと鏑木に口止めされたのだ。
「二人で何の内緒話?」
 ツンツンにたてたヘアースタイルの為に多摩川から『ペンギン』というあだ名を付けられた彼は
超有名コンピューター企業『四天堂』の御曹司である。
 念の為言っておくと、『家鴨小路』までが苗字で、名前は『天』の一文字だ。
「いや、別に。」
 と鹿島。家鴨小路と鹿島は中2の頃からの付き合いで、割と気心も知れている。
「えー、何々?」
 珍しく食い下がってきた。この間彼の意中の人の事でいじったのがそんなに堪えたのか?
「石野の女関係の話。」
「なんだ、よくある話か。」
 おいおいおいおい、そんなに女たらし説が普及してるのカイ!?
 この場を借りて言っておくが、僕は女たらしではない。断じて違う。
 そりゃちょっと女友達が多いけれど、そんなねえ?共学ならこれぐらい普通な筈だ。
 うまく誤魔化せたが、何か釈然としない。
鹿島が耳元で、「女たらしもたまには役に立つな」と囁いてきたのも気に食わない。
 チャイムが鳴って、家鴨小路はロッカーに教科書を取りに行った。鹿島もそれについていく。
僕は机の中から教科書を出す。地理だ。
 さあて寝るかと思い、さっきの時間の小中よろしく机に突っ伏した。

「ねえカブぴょん。」
「……何だそれは?」
 日本屈指の戦力を保有する武装集団『千鶴』の総帥塩見憂は、今日も学校を休んで鏑木の所にいた。
 作戦会議と称しているが、実際はサボりたいだけである。
「ダメだよ、学校はちゃんと行かなきゃ。」
 丸山がカウンター近くの席でキーボードをを叩きながら言う。
 ディスプレイには何かの解析データが映っていた。
「ねえカブぴょん?」
「……丸山よ、お前もか…。」
 彼のジュリアス・シーザーが信頼する部下ブルータスに裏切られた時のように、鏑木は重々しく
呟いた。
「ふふ、カブぴょん……。」
 カウンターの内側に椅子を置いて座っているカブぴょんこと鏑木の後ろからそう呟く声が
聞こえた。
「お前までなんだシュナ。」
 シュナ、というのがこの男の名だ。昨日学校で落田教諭の変な英語に翻弄されながらも、
きっちり狙撃をした、あの外国人だ。
 フルネームをシュナウザー=A=ペペロンという。
イタリア国籍を持つが、彼自身はイタリア人ではない。アジア系の白人だ。
その黒く重すぎるように垂れた前髪の向こうに覗く目は鋭く、シュナウザー犬というよりは、
地獄の猟犬ハリアーハウンドと言った方がしっくりくる。
「セフィロトの『閣下ボッシーア』と呼ばれた男が、形無しだな。」
 その言葉に鏑木は苦笑いを浮かべた。
「日本の女子高生というのは、世界で一番強いかもしれん。」
 怖い者知らずだ、とでも言いたいらしい。

 平和――。
 もしこの言葉が戦闘状態にないことを指すならば、今は正にそれだった。
 だが、それももうすぐ終わりを告げる。
 平和な日常、その場所に現実は彼らを帰すだろうか。

「リン。」
 帰りの電車の中、長崎麻衣が隣に座る井城凛に話しかける。
「ん?」
「その指輪、前から思っていたけどいいね。」
 そう言って、彼の薬指にはまる指輪を指した。
 かつて井城が父親の書斎から持ってきた、あの品である。
「いいだろー。」
 そう言いながら、彼は別のことを考えていた。
 暫くの間。他者から見ればまどろっこしいカップル特有のあの間である。
「それど…」
「あの……今度の土曜日7:00にツインタワーに来てくれない?」
 ほぼ同時に二人は口を開いた。が、井城の方が長崎の言葉を押し切った。
「渡したい物が…あるから…。」
「うん分かった!」
 そう言っている間に、井城の家の最寄り駅に着く。
「じゃ!」
「うん。」
 井城は片手を上げて別れを彼女に告げる。
 井城は知っていた。
 彼女、長崎麻衣がこの指輪を欲している事に。
あげよう、彼女にこそこれは相応しい。そう考えた末の誘いだった。
とは言え、結婚指輪と勘違いされるのも困る。その時にはもっといい指輪を、とも考えていた。
 が、井城は知らなかった。
 彼女が指輪を欲する理由を。
 彼女が自分が電車を降りた後、密かにほくそえんだ事を。
 長崎は知っていた。
 彼がそろそろ指輪をくれる頃だろうと。
 そしてその時が、彼に永遠の別れを告げる時だと。

 そして二人共が知らなかった事があった。
「土曜7:00、ツインタワー前か……。」
 それを聞いていた者がいた事を。
 そして、その者は知らなかった。想像だにしていなかった。
 その土曜日にかつてない戦いが起こる事を。   

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