第十二話 僕らは秋の夕焼け空を急いだ



 土曜日、何事もないように日は昇った。朝焼けが不気味なほど美しかった。
   この日、僕は鹿島と家鴨小路と林の四人で四番通りに遊びに来ていた。
 13:00頃に集まって、ファーストフード店で腹ごしらえ。
その後カラオケに直行しフリータイムで唄いまくり、と言うのが今日の予定だった。
「そう言えば、このカラオケで井城と長崎さんがデートしてたんだぜ。」
「ああ、言ってたなあ。」
 僕が言うと、林が俺も行きたかったという風に言った。
「その二人今日ツインタワーでデートらしい。」
 家鴨小路が言った。
「おうおう、お熱い事で。」
 鹿島がやけに古い言い方をする。
 井城の事はこの間聞いたけれど、長崎さんが何者なのかはよく分からないらしい。
 生徒の身辺調査を怠らないサウザンズ学園が調べても、おかしい所はなかったそうだ。
『兎に角、普通の家庭の子よ。』と塩見も言っていたが、
『俺の偽装も分からなかったんだから、あまり信用しない方がいい。』と九渡は疑念を口にした。
 生体兵器だったとしたら、何かショックだ。同じ教室で今まで生活していたのに。
 まあ牧撫子もそうだったって話なんだけど。
 やっぱり長崎さんとは多少なりの絡みもあったし。人懐っこい子だったからなあ。
 まあこんな事を言うと、また『女たらし』扱いされかねないので言わないけれど。

「おかしい。」
 鏑木の邸宅代わりの店、『セフィロト暫定的日本支部』で丸山は溜息と共にそう言ったのは
今日何度目だろうか。
「何がだ?」
 大して気にしてない風に、鏑木が尋ねる。
 今丸山は生体兵器『巽辰子』の遺体を分析しているのだ。
「どうしてもあれが検出されないんだ。」
「そうか、まあ頑張れ。」
 やっぱり気のない返事だ。聞いても分からない事は鏑木も承知している。
だから敢えて聞かないのだ。
「なあ、カブぴょん。」
「鏑木だ。お前は塩見か。」
 カブぴょんは定着してしまったようだ。
 因みに名付け親の塩見は今日は姿を見せていなかった。
「本当にあの石野君は、この生体兵器に誘惑されたのかい?」
「らしいな。」
「この生体兵器、そんなに顔がいいとは思えないけど。」
 身も蓋もない事を言い出した。
「女たらしらしいから、誰でもよかったんだろう。」
 あの歳でそんな事とは嘆かわしい、と鏑木は石野本人が聞いたら怒り出しそうなことを
言い出した。
「何らかのフェロモンを感じ取ったんだろうよ。」
「そこなんだよ。」
 鏑木の投げやりな発言に丸山は何故か食いついた。
「彼がこれに誘惑された時、幻覚にも似た症状を経験していると言う。覚えているかい、鏑木?
 隈元の事を。」
 その名前を聞いて、鏑木の顔が強張った。
「……忘れる筈もない。」
 あいつめ、と吐き捨てるように言った。
「彼が誘惑された時も、幻覚が見えたらしい。これを私は『イリュージョニック・フェロモン』と
 名付けたんだけど、それが……。」
「その個体からは検出されない、と?」
「ああ。」
 鏑木は暫し考え、ボソリと思い付きを口にする。
「隈元の時とは違う薬品だとかかもしれない。」
「それはないと思うがね。」
 症状がそっくり同じだし、と付け加えた。
「それだけじゃなくて、そういう系統の薬品は検出されてないんだ。」
「なら、別の奴が手伝ったんじゃないか?」
 再び鏑木が思い付きを口にした。
 その瞬間、丸山の目が大きく見開かれた。
「それだ!」
 パンと膝を打つと丸山は携帯電話を取り出し、電話帳から石野の番号を選ぶ。
「一体いつ番号を聞いたんだ?」
 鏑木が半ば呆れて言うと
「『セフィロト』の情報網をなめちゃいけないよ。」
 組織力を利用したようだ。
こんな事に使うなよ、と鏑木は溜息を吐いた。

 カラオケとは違った、電子的なメロディーが響く。
 川嶋あいの『ごめん』――僕の着メロだ。ファンクラブの会員としては常識の心構えだ。
「はい!」
 送話口を少し押さえて、僕は電話に出た。
『石野君?丸山だけど?』
「ああ…はい…。」
 何でこの人、僕の番号を知ってるんだ?
『少し聞かせて欲しいんだけど、いいかな?』
 僕は鹿島に目で合図を送ると、部屋から出た。

「石野、一体……?」
「女からだろ。」
 鹿島が投げやりに答えた。こういう事から女たらし説が広まるんだな、と林は一人納得した。

「すいません。」
 ちょっとカラオケでとは言わなかった。
『いや、いいよ。ところで……?』
 質問の中身は予想通り、あの僕を襲った生体兵器『巽辰子』の事だった。
「誰か一緒にいなかったか、ですか?」
『うん。』
 どうだったかなあ……。口に出しながら頭の中でも言っていた。
『大切な事なんだ。』
 うー、そう言われてもなあ……。誰かいたようないなかったような……。
 僕が首を捻っていると、ドアが開いて鹿島が出てきた。トイレのようだ。
 僕はその時、思いついた事があって、受話器の向こうに『すいません、ちょっと』と言って
鹿島を呼び止めた。
「なあ、鹿島!俺あの襲われた時……。」
「ああ、クラブサボって長崎さんにひょこひょこついて行くからあんな事に……。」
「!!」
 そうだ、思い出した!!
「鹿島、もう一回!」
「はあ?」
「今言った事を!!」
「だから、長崎さんにひょこひょこついて行くから……。」
 やっぱり!!そうだ、思い出した!!
「鹿島!」
「な、なんだよ?」
「恩に着る。」
 そう言って僕は受話器に再び口を当てた。

『何だって!?』
「はい、鹿島のお陰で思い出しました!」
『本当なんだね?』
「はい!」
 そうだ、そうなんだ。思い出した。あの時確かに長崎さんがいた。いつの間にかいなくなって
いたからすっかり忘れていた。
『じゃあ危ない!!』
「え?」
『井城の息子さ!』
「何がなんですか?」
 いきなり叫ぶから吃驚した。
『いいかい!?分かりやすく言うと、君は薬を嗅がされて、彼女の告白を受けてしまったんだ!
 それと同じ事を、井城の息子もされているんだ。恐らくゆっくりと時間をかけてね。
 あの薬は命を蝕むからじっくりやらないと、対象が死んでしまうかもしれないんだ。』
「は、はあ……。」
 話は大体分かったけれど、それがどう繋がるんだ?
『彼らが付き合いだしたのは?』
「夏ごろ……だったと。」
 林が目撃したのが確かそれぐらいだった筈だ。
『じゃあ、30倍に薄めていたとしてそろそろ『誘惑(テンプテーション)』が完成する
 時期だ!いつか二人が個人的に会う時が分かったら……』
 その言葉で、ふと家鴨小路の言葉が甦る。

『――その二人今日ツインタワーでデートらしい。』

「今日、ツインタワーで会うらしいです!」
『何だって!?それは何時頃だい!?』
 僕は慌てて部屋に駆け込んで、家鴨小路に掴みかかる。
「なあ、今日の井城のデート、何時か分かるか!?」
 家鴨小路は僕の剣幕に圧倒されたように口をパクパクさせるだけだった。
「大切な事なんだ。」
 家鴨小路の目に、今の僕はどう映ってるんだろうか?
「……7時、の筈だけど…。」
 真剣さが伝わってくれたようだ。
「7時です!!」
 受話器に向かって僕は叫んだ。

「7時か……。」
 現在時刻は6時半である。向こうにヘリを回している余裕はない。
それにここからもギリギリだ。
 かと言って、今のままでは手駒不足だ。相手に何体の生体兵器がいるのか分かったものじゃない。
 丸山は鏑木の方を見た。
 鏑木は既に『千鶴』と連絡を取っていた。
「千鶴も、ヘリを回す余裕はないようだ。」
「……そうか。」
 彼らには自力で来て貰わねばならないようだ。
「鏑木!」
 九渡とシュナウザーが店の奥から姿を見せる。
「急ごう、準備は整った。」

『……と言う訳で、迎えにはいけない。君たちは自力で来てくれ、7時までに。』
「そんな無茶な!!」
 四番通りからツインタワーまで乗換えがうまくいっても1時間はかかる。
 僕の叫びが聞こえたのか、鹿島、林、家鴨小路までもが真剣な顔でこちらを見ている。
『じゃあ、頼んだよ。』
 そう言うと丸山は電話を切った。くそ、無責任な……。
「どうしよう……。」
「ツインタワーか……。」
「無茶だよな、7時まで……。」
 僕らが口々に言う中、家鴨小路がおずおずと口を開いた。
「事情はよく分からないけど、何とかできるかもしれない。」
『え?』
 僕ら3人は、何時になく自信たっぷりな顔の家鴨小路を見た。
「大丈夫!任せて。」

 大丈夫、この言葉を信じて僕らは取りあえずカラオケBOXを出る。
 家鴨小路は何処かに電話を入れていた。一体、どうする気だ?
「いけるよ、こっちこっち!」
 そう言って家鴨小路は走り出す。僕らも急いで後を追った。全く、なんだって言うんだ?
「ここ!」
 走る事5分あまり、広い河原に着いた。
10月も下旬になって少し肌寒くなってきたからか、人影は少ない。
「ここ?」
「川下りで行く気か?」
 鹿島がこんな時にからかうような事を言う。
 その言葉に家鴨小路は、ちょっと違うと言った。違いはちょっとなのかよ……。不安だ。
「上だよ。」
 そう言って家鴨小路が空を指した。
 見上げると、何とボディに『四天堂』と大書された大型ヘリがバラバラと音を立てながら
降下してきていた。
「あれに乗れば速いよ。」

   いや………流石は御曹司というか、その……
「最高だ!家鴨小路!!」
 あ、言おうとした事を林に取られた。
 上空でホバリングしているヘリから、縄梯子が降りてくる。
 僕ら三人は家鴨小路に礼を言うと、うなずきあってそれを掴んだ。
 さあ、急がねば!!

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