第四話 僕らが秋晴れの下尾行していた日



 人間がいる限り、廃墟と言うものは必ず存在する。
 住めなくなった、住まなくなった……、理由はどうあれ必ずある。
 何故ならば人は、捨てなければ生きていけない生き物だからである。
 そんな廃墟の一つに、一つの影が入っていく。
 その廃墟はビルで、立ち入り禁止の立て札は折られ、周りに張り巡らされた
鉄条網――有刺鉄線は所々破れていた。
 ビルの壁自体にも、暴走族が書いたと思しきスプレーの落書きがちらほら。
『屡瑠葡狂屠汚蛙屡膏』、『娑螺夷』、『漢災埜津離』………。

   先ほど廃墟に入った影を追いかけるかのように、3人の人影が姿を見せた。
 男二人と女一人。女はやけに大きな鞄を背負っていた。
 その内の一人が落書きを見て言う。
「暴走族は、漢和辞典でも携行する習慣でもあるのか?」
 別の一人が言った。
「常識も携行してもらいたいところだ。」
 3人は、先に入った影を追って廃ビルの中へと足を踏み入れた。

 暗闇の廃ビル。
 奴らはここに追い詰めたつもりなのだろう。
 だが、
「追い詰められたのは貴様らだ……。」
「誰が追い詰められたって?」
 不意に声がかかる。
 誰なのかは分かっていた。追跡者だ。男二人女一人の組み合わせか。
 振り向くと、やはり思った通りの三人だった。
「ようこそ、『千鶴サウザンズカーク』の皆さーん。」
「俺たちを知っていたか、メニアニマの牧撫子。」
「我々を追うような愚かな組織は、この国にはあなた方しかいませーん。」
 芝居がかった大仰な仕草で、牧と呼ばれた女は腕を広げた。
「死んでいただきまーす。」
「お前がな!」
 先ほど暴走族と漢和辞典の関係を疑った男が発砲した。
 その狙いは違わず女の左胸に突き刺さった、が――
「……効きませんネ。」
「生体兵器か……!」
 男は悔しそうに歯噛みした。その傍らに立っていた男女が前に出る。
「深井は下がってろな。」
「ぅ、ぅちらに任せて欲しぃ。」
 深井と呼ばれた男はその言葉で、一歩後に下がった。
「では、任せよう。だが、気をつけろ。一筋縄ではいかない相手だ。」
 それぐらい分かってる、と男の方がさらに一歩踏み出した。
「生体兵器と知りながらかかってくる?勝ち目もないのに?戦士の鑑ですねぇ。」
 男はそれに答えず、女の方を振り返った。
「小黒、援護頼む。」
「ぅん、分かったぁ。鐘本君死なんといてねぇ?」
 全く、不吉な事を言うなと思いながら、鐘本と呼ばれた男は答えた。
「お前が火薬の量を間違えなかったら、死ぬことはない。」
 その言葉に小黒は元気よく肯いた。
「ぅん、多めにしとくわぁ。」
「やめてくれ。」

 鐘本は生体兵器の牧に向き直ると、拳を腰だめに構えた。
 二人の間に漂う緊張。
 深井は、室内だというのに一陣の風が吹いたような気がした。
 先に仕掛けたのは、牧の方だった。
 右手の人差し指を鐘本に向ける。
「波ッ!!」
 彼女の鋭い一声と同時に、指から光線が物凄い速さで発射された。
 鐘本は咄嗟に身を伏せ、それをかわし、彼女の方に一直線に突っ込んでいった。
「波ッ!波ッ!波ッ!波ッ!!」
 彼女は尚も光線を放つ。
 鐘本は、ジグザグに走り巧みにそれを避け続け、間合いをドンドン詰めていく。
(何故当たらない……。当たりさえすれば……。)
 生体兵器の牧は焦っていた。
 人を超えるものとして造られた、彼女のプライドが崩れようとしていた。
 その間に、鐘本は一気に手を伸ばせば届く距離まで間合いを詰めた。
 好都合だ、と彼女は思う。
 これだけ近いなら、格闘戦で勝負が出来ると。
 自信があった。何故ならば彼女の力は一般的な成人男性のそれを上回っていたからである。
 ましてや相手は十代位だ、勝算はこちらにある。
そう一瞬で判断し、彼女は右手で重い一撃を繰り出した。
「はあ!!」
 鐘本はそれを、右に体を捻って簡単に避けると、それを片手で脇に挟むように掴んだ。
 そして、彼女の胴に足をかけると、蹴飛ばすようにして力任せにそれを引いた。
「うらあぁぁ!!」
 ズムッと嫌な音がして、生体兵器の右の下腕部が肘から離れた。
「うぎゃあああぁぁぁぁ!!」
「ぎゃああああぁぁぁぁ!!!!」
 痛みに悲鳴を上げる生体兵器とスプラッタな映像に悲鳴を上げる深井を尻目に、
彼は引き抜いた右下腕部を捨て、
「これでもう、どどん波は撃てない。」
と、さっきのビーム攻撃に勝手な名前をつけて言った。
「己ぇぇぃ!!!」
 牧は完全に冷静さを失い、鐘本に踊りかかった。
 鐘本はそれをなんなくいなすと後に回り、彼女の首に右腕をかけた。
「このまま一気に絞め落とす!」
「がああああぁぁぁぁぁ……。」
 勝てる、深井がそう思った瞬間
「ぁったぁ!」
 一人鞄をごそごそやっていた小黒が不意に声を上げる。
 その手に握られていたのはTNTと書かれた手榴弾。
 最も需要量の多い、軍用の爆薬である。
「いや、爆弾はもういいぞ。鐘本がこのまま……。」
「ちょいなぁ!」
 深井の話を聞かず、彼女は手にした手榴弾のピンを抜き、牧を締め上げている鐘本
目掛けて投げつけた。 「うわぁ!?!?!?」
 慌てて鐘本は牧を放り出し、物凄い俊敏さで深井達の方に逃げた。
 ズドムッ!!
 どうにか鐘本は間に合った、だが……。
「老朽化したビルでこの爆発。ヤバくないか?」
 深井が、味方がいるのに爆弾を投げつける同僚に青ざめている鐘本と、妙にすっきりした
顔の小黒に意見を求める。
「そうだな、崩れる前に逃げよう。」
 幾分落ち着きを取り戻した鐘本が肯き、3人は走り出した。

 3人は何とかビルが倒壊する前に逃げ出す事が出来た。
 目の前で派手に崩れていくビルを見ながら、深井は通信機のスイッチを入れた。
 大した事してないのに物凄く疲れた、そう思いながら。

     ガチャ……チリリンチリ……
 また一人誰か入ってきた、今度は招かれざる客のようだ、と鏑木修人は思った。
 帰ろうと立ち上がった一人目の来訪者に、暫く待つように言い、彼は自ら来客を出迎えた。
 彼がドアの方に行くと、そこには高校生くらいの少女が一人立っていた。
 真っ暗闇の室内で、きょろきょろしている。
「誰だ君は?」
 多少警戒しながら声をかけると、ビクッと少女は体を震わせた。
 その様子で、鏑木は彼女は脅威になりえないと判断し、警戒を解いた。
「こんな時間に何の用だ?」
「ここにいる人に会いに来たの。」
 やけに胸を張って、少女は答えた。恐怖を隠しているのかもしれない、
と鏑木は思う。
「ここには私一人しかいないが。」
 奥にいるアイツの事は黙っておこうと決めた。
「じゃあ、あなたに用があるの。」
 妙な日本語だ、と彼は思う。
「私は君に用はない。」
 と、言うか知らない。暗闇で顔は分からないが、少なくとも女子高生に知り合いはいない。
「あたしと話せば、いやでも用ができるはず。」
「どういう意味だ?」
「『セフィロト』の鏑木修人。話を聞いて欲しい。」
 その言葉を聞いて、鏑木は腰のピストルに手を伸ばし、ピタリと少女に狙いをつけた。
「あんたは何者だ?返答しだいでは、撃つ。」
 それは警告ではなく、本気の言葉だった。殺気も篭っていた。
  確かに回りは真っ暗闇だが、彼には中てる自信があった。
 にも拘らず、相手の少女は臆さずこう言った。
「それを撃てばどうなるか、貴方には分かっているはずよ。深夜の住宅街じゃ、さぞかし銃声
 は響くんでしょうね。」
「生憎サイレンサー付きだ。」
 嘘ではない。それでも少女は臆さなかった。暗闇で表情をうかがい知る事は出来ないが、
きっと余裕の笑みを浮かべているのだろう。
「穏便に話し合えない?」
「こちらも出来れば、それで済ませたい。」
 何故だ?
 鏑木は少し焦れ始めていた。
 何故相手にはこんなに余裕がある?
(やはり、撃つか………。)
 こちらの事も知っているようだし、口を封じるのもいいだろう。
 そう思い、引き金を引こうとした瞬間――。
 不意に、丸い光が目の前の壁に映った。
 突然の眩しさに、鏑木は一瞬視覚を奪われる。
(まずい………。)
 このままこの少女に逃げられ、警察に駆け込まれでもしたら……。
 だが、鏑木の危惧は杞憂だった。
 突然光を当てられたのは少女も同じ。彼女も目が眩んでそれ所ではなかった。
「鏑木!!」
 後から声がした。
 目を押さえながら振り向くと、そこには始めの客が燭台を持って立っていた。
 帰りの遅い鏑木を心配して来たのだろう。
「大丈夫か?」
「ああ、問題ない。」
 よく見ると、彼が手にしていたのは燭台ではなく、クリスマスツリーの飾りに使うような
キャンドル型のライトだった。
この国に来た時、鏑木が趣味で買った品で、本人は今まですっかり忘れていた。
炎の灯にしては、眩しいはずである。
 始めの客が、後から来た少女――うずくまって目をごしごし擦っていた――に目をやる。
「で、そいつは……?!」
 問う口調が途中で驚きに変化した。何か知っているようだ。
「こいつはお前の知り合いか?」
「あ…ああ……。」
   始めの客は口篭る。
「どうなんだ!?」
 つい、口調が荒くなる。目が慣れたのか少女が顔を上げた。
「あ!!」
 彼女は始めの客の顔を見てこう言った。
「九渡君!!」
「お、おう塩見。」
 始めの客――サウザンズ学園きっての情報通、九渡銀次はぎこちなく片手を挙げた。

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