二 今回のは不可抗力だ その3



 吾郎が去ってから、優歌は部室を物色し始めた。何があるかを確認しておきたかったし、興味があった。
 ドア正面の壁の本棚は共有スペースらしく、児童文学の文庫や小説執筆のハウツー本から、パソコンやソフト類のガイドブック、画集や絵画技法の本などが置かれていた。
 意外にも美術関係の本は多く、見た目より真面目に取り組んでいるのだな、と優歌はあの全裸の先輩を少しだけ見直した。
 右奥の壁、ソファーの後ろの棚は、元文芸部専用のスペースのようだ。探偵小説や怪奇小説がずらりと並んでいる。これは完全にあゆみの趣味だろう。
 背表紙に蜘蛛の描かれた、ハードカバーの『少年探偵団』シリーズが最下段を占拠している。恐らく探偵気取りのあゆみと、児童文学を志すエミリの一致点が、このシリーズなのだろう。
 本棚の左隣にはスチール製のロッカーが三つと掃除用具入れが設置されていた。
 ロッカーは教室にあるものと同じつくりで、上下二段に分かれており、南京錠をつけられるようになっている。
「このロッカーって、誰か使ってるんですか?」
 再び萌黄夢美なるキャラクターを攻略するべく、パソコンに向かう神崎の背に声をかけると、彼は回転椅子をくるりと回して振り返った。
「みんな使ってるぞ。俺は特に貴重品を入れてるわけでもないから、鍵はかけてないが」
 神崎の言葉通り、鍵がかかっているロッカーは三つだった。
「一番右の上が真倉、その隣が部長のだ。戸川は真倉の下だから……お前は左端の一番上を使え」
「いいんですか?」
「構わん。去年までは各クラブ一個だったが、今年は人数ぴったりだ」
「他に新入部員が入ってきたら……」
「こないだろ」
「それもそうですね」
 妙に納得してしまった。
 とは言え、今は別段入れておく物がない。ソファーの上にうっちゃってある自分の鞄でも入れておこうか。
 そう思って、ロッカーの戸を開く。
「あれ? 神崎先輩!」
「どうした?」
 再び呼ばれて、神崎はくるりと回る。
「中、荷物入ってます……」
 何? と神崎は椅子に座ったまま、足についているキャスターで近付いてくる。
「あ! ダメです! 脱いだ後の制服と下着なんで!」
「そんな布切れ、俺にとって何の価値がある?」
「……そうでしたね。すいません」
「分かればいい」
 何で謝ったんだろうわたし、と頭を抱える優歌をよそに、神崎はソファーの前で椅子から降りた。
「誰のですかね、これ?」
「決まっているだろう」
 神崎は鼻を鳴らす。
「服を着てない人間が、このクラブにはいるじゃないか」
「あ、そうか。部長……」
 ロッカーに物が入らなくなったのだろうか。雑そうだし、ありえそうだ。
「と言う事は、来てたんですか?」
「いや、今日は見てないが」
「と言うか、退学になったんじゃないんですか?」
「宅急便で送りつけるか」
「それよりそのテのお店に売りません?」
「……えげつないな、伊東も」
 真倉の跡継ぎになれるぞ、と言われ、自重しようと思った優歌であった。
「ま、まあ冗談は置いといて、本気でどうしましょう、これ……」
 優歌がロッカーからブレザーを取り出した瞬間、勢いよく部室のドアが開いた。
「お待たせ! 真打登場!」
「げぇっ! 部長!」
「ジャーン、ジャーン」
 七条露子その人であった。学校指定のジャージを羽織り、短パンをはいている。思わず悲鳴じみた声を上げた優歌の隣で、謎の効果音を神崎が口にした。
「……なんですかジャーンって?」
「伊東が『げぇっ!』とか言うから」
「何ちょっと仲良くなってんのよ!」
 不機嫌そうに露子は腕を組んで、優歌をにらむ。
「何ちょっと仲良くなってんのよ……」
「二回言った!?」
 その二回目には微妙に寂しそうなニュアンスが含まれていた。
「あ! そのブレザー、あたしのじゃん」
 ツッコミを無視して、露子は優歌の持つそれを指差す。
「そうだと思いますけど……」
「何匂い嗅いでんのよ! この変態!」
「嗅いでませんよ!」
「何で嗅がないのよ! この変態!」
「わたしは変態じゃない!」
 すると急にしなを作って露子は流し目を送った。
「直接嗅いだって、いいのよ?」
「あんたの方が変態だ!」
「さあ! ほら! 今だけ許すから! 早く嗅ぎなさい!」
 大の字に腕と足を開いて、露子は叫ぶ。
「何を錯乱しとるんだ」
「て言うか、ドア閉めてください! 外に丸聞こえですよ!」
 言われて、慌てた様子で露子はドアを閉めた。
「野球部の子がこっちを見上げてたわ……」
 やや顔が赤い。羞恥心というものがこの人にもあったらしい。

「それでさあ、あんたら、何で昨日追いかけてこないのよ!」
 制服に手早く着替え、ジャージと下着を自分の鞄に突っ込んで、ソファーに座った露子は、開口一番そう言った。
「部長の制服姿って、妙に新鮮ですね」
 ソファーの向かいに、優歌は昨日使ったパイプ椅子でに腰掛けている。隣には回転椅子に座った神崎もいる。
「何を言う伊東、君はまだ出会って二日目じゃないか」
「そうでしたね、あははは」
「ふふふふ、こ奴め」
「話逸らすな!」
 笑い合う二人に、露子は怒鳴る。
「ま、追いかけてこなかったのはいいわ。でもさ、鍵かけて帰ることないじゃない」
 そう言えば、昨日の帰り際エミリが掛けていたような気がする。
「あたしの着替え部室の中にあるのに、どうやって帰れって言うのよ」
「……ぜ、全裸?」
「さすがに学校の敷地外でやるのはまずいでしょ!」
 そういう感覚も持ち合わせているらしい。だったら校内でもやめておけよ、と優歌は内心で毒づく。
「ったく。で、誰よ掛けたの?」
「真倉だ。部長は全裸がデフォルトだから平気よね、ということらしい」
「普通に教えた!?」
 さあな、とか言うものだと思っていたので、優歌は驚いた。
「あの性悪牛チチ女ぁ!」
 怒鳴って拳を握り締めて立ち上がると、露子は急に辺りをきょろきょろし始めた。
「ど、どうしたんですか?」
 ソファーの下を覗き込む露子に、優歌は怪訝な表情で問いかけた。
「いや、エミリがどっかに隠れてないかな、と思って……」
「だったら言わなきゃいいのに……」
 割と小心者である。いや、相手がエミリ先輩じゃ無理もないか、と優歌は思い直す。昨日も芋虫とか言われてたし。
「まったくもう。第二校舎の屋上で一人待ってて寂しかったんだからね」
「全裸でそんなところまで移動したんですか……」
 クラブボックスは校地の東端にある。第二校舎は西端、つまり真反対だ。
「あたしも大したものね。今回は先生に見つからなかったわ」
 見つかっていたら退学だというのに、軽い調子で露子は笑った。
「それで、どうしたんだ?」
 神崎が続きを促した。少し珍しいんじゃないかな、と優歌は彼の顔をちらりと見た。
「しばらく待ってたんだけど、ガチャンって音がしてさ。屋上から出るドア施錠されちゃったのよ」
「え?」
 閉じ込められたのか。もしかして今日までいたのだろうか。
「しょうがないから、排水用のパイプ? みたいなんあるでしょ、ねずみ色の。あれとか、窓のとこの出っ張りとか伝って降りてきたわ」
「結構アクロバティックな事しますね……」
 その後制服を取りに部室に戻ると、鍵がかかっていた。
「どうやって帰ったんですか?」
「え? そのまま普通に歩いて」
「結局全裸かよ!」
 よく捕まらなかったものである。
「家近いのよ、あたし」
「それにしたって、よくもまあ通報されなかったですね……」
「山の方に回れば、人通りも少ないわ」
「まるでサルだな」
「あのムッツリ巨乳のせいよ!」
 言ってから、またそわそわし始める。
「大丈夫です、いませんから」
「ホントに本当よね? どっきりとか笑えないんだからね!」
「今回は違うから安心しろ」
 一度は引っ掛けているらしい。
「部長、最後に一つ教えてくれ」
「何? スリーサイズなら上からはち……」
「昨日のボディペインティングは、赤系統と迷彩柄だったな?」
 話を断ち切られて一瞬悲しそうな顔をした露子であったが、ぶった切ったその内容を聞いて、すぐに表情が明るくなる。
「そうそう! よく覚えてたわね! あれは、あれは、そうそう! 背中の迷彩が軍隊、えーと、お腹の側の赤が血の象徴で、うん、戦争の愚かしさを表現しているのよ!」
「うわぁ、後付け臭い……」
 つっかえつっかえ、考え考え言っていたように聞こえた。
「だ、だだだ誰が後付けやねん!」
 では何故目を逸らす、言葉に詰まる、突然関西弁になる。
「ああああ後付ちゃうわ! ソースも二度漬けしてへんわ!」
「大阪の人に怒られますよ……」
 二人のやり取りを見ながら、神崎は中指で眼鏡のズレを直した。
「伊東」
「はい?」
「謎は全て解けたぞ」
「何? あゆみちゃんごっこ?」
 この部では探偵ごっことは言わないのだそうだ。
「謎って、何の謎ですか?」
「イモリ女だ」
「どういうことです?」
「イモリ女って何よ?」
 優歌は露子に軽く説明する。
「なるほどね。あゆみちゃんはそれで来てないのか」
「もったいぶらずに話して下さいよ」
「いや、もう少しもったいぶる」
 言って、神崎は立ち上がった。
「戸川のことは好かんが、あいつの言っていることで、俺も支持していることはある」
 人差し指を立てて、神崎は不敵に笑った。
「その内の一つ、探偵役が謎解きをする時は、この言葉で始めなければいけない、という鉄則……」
 優歌と露子の顔を見渡し、たっぷりの間を置いて神崎は切り出した。
「さて――」




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