二 今回のは不可抗力だ その4 「イモリ女が出現した、と言っても、別に噂どおり誰かが屋上から墜死したわけじゃない。ただ、屋上から降りてくる何かを見た、という人間がいただけだ」 「そりゃそうよねぇ。誰か死んでたら、ちょっとした騒ぎになってるだろうし」 「ちょっとした騒ぎどころじゃすみませんよ、普通……」 気楽な調子で相槌を打つ露子に、優歌は呆れた調子で肩をすくめた。 「ともかく、何かを見間違えた可能性が高い。戸川もその線で調べていることだろう。 ならば、『昨日の放課後、屋上にいた何か』が鍵になってくる」 「……あ!」 「気付いたようだな、伊東」 「そりゃここまで言われたらねぇ」 露子も分かったようだ。 「目撃されたのは恐らく、屋上から校舎の壁を降りてくる赤い腹の女」 そんなものを目の当たりにした一年生はさぞ驚いたことだろう。そこで思い出されるのが、先ほど露子が話した昨日の行動だ。 「イモリ女の正体は……七条露子、あなただ! という事になる」 「やっぱりね……」 目撃した一年生の語った容姿から、噂を知る上級生がイモリ女と判断したのだろう。 「部長は有名人だ、二年生以上の人間が見ていたら、あなただと気付いただろうな」 それが伝聞になったから、噂の怪物に姿を変えたのだろう。 「エミリががっかりしそうな話ね。あの子、ホラー好きだし」 「そうなんですか?」 文芸部の本棚にあった怪奇系の本は、彼女の蔵書だそうだ。 「にしても、失礼な話よね。こんな美人を捕まえてハ虫類呼ばわりとか」 「イモリは両生類ですよ」 「は? 何? カエル?」 「……いえ、いいです」 優歌は露子から顔を背けた。ダブりの原因は別にもある気がしてきた。 「まあ、これで伊東も安心だな。幽霊の正体見たりうちの部長、と言うわけだ」 「怖さ的にはあんまり変わりませんけどね」 捕まると、屋上から一緒にダイブさせられるか、校内で一緒にヌードにさせられるか、の差しかない。前者は物理的に、後者は社会的に死んでしまう。 「部長って、イモリ女の親戚のゼンラ女じゃないですか?」 「こんな優しい先輩をつかまえて、よくそんな妖怪扱いできるわね!」 露子がそういった時、また部室のドアが勢いをつけて開かれる。 瞬間、ソファーから三センチほども飛び上がり、露子は床に平伏した。 「ごめんなさい! ごめんなさい! もう二度と性悪牛チチ女なんて思ってても言いません! 許してください! 靴でも何でも舐めますから!」 「どんな命乞いだ」 と言うか今のはほぼ自白である。 「ぶ、部長、エミリ先輩じゃないですよ……」 若干体を遠ざけながらも、優歌は彼女の背中に声を掛ける。 入って来たのはあゆみであった。恐る恐る顔を上げた露子は、安堵の表情を浮かべ、糸が切れたように、床に倒れこんだ。 「脅かさないでよ、あゆみちゃん……」 「今からもっと驚くことになるよ」 自信たっぷりの表情でそう言うと、あゆみは露子の体を起こす。 「謎は全て解けた」 「え?」 嫌な予感がした。 「犯人は――イモリ女の正体は、お前だ! 七条露子!」 しーん、という書き文字が見えるぐらいに、部室内は静まり返った。 あゆみはそれが、皆が衝撃を受けたためだと捉えたのだろう、得意げに話を続ける。 「さて――」 「待て戸川」 鉄則の前置きを出したあゆみに、神崎は待ったを掛けた。 「それはさっき俺がやった」 既に謎解き済みであることを、神崎は説明する。 「嘘だ!」 叫んで優歌の方を見る。 「だから、お腹に赤いボディペイントをしてた部長なんですよね? 屋上に閉じ込められて、地上に降りてくるのを見た人が、『イモリ女』だって騒いだ」 優歌の説明で全てを悟ったのか、今度はあゆみがへたりこんだ。 「……どうして」 きっ、と顔を上げて神崎を睨む。 「どうしてボクに意地悪ばかりするのさ!」 「今回のは不可抗力だ」 不可抗力じゃない意地悪もあったのだろうか、と傍で優歌は思った。 「お前、さては怪人二十面相だな?」 「いや、違うが」 「じゃあボクはどうしたらいいんだよ!!」 そう叫んで、あゆみは走って出て行ってしまった。 「やれやれ……泣いて出て行くパターンは、これで止めにして欲しいところだ」 責任を感じているのか、それともさっき露子に言われたからか、神崎は追いかけるつもりらしい。 外に出ようとした彼を、腕を掴んで止めた者がいた。 「ちょ、何であゆみちゃんは追いかけるのよ!?」 あたしの時は来なかったくせに、と露子は非難がましい目をした。 「しかしだな……」 「先輩、部長涙目だから……」 一つ大きく息をつくと、神崎は優歌に声を掛ける。 「伊東、すまんが戸川を……」 「優歌ちゃんもダメ!」 「えぇー……」 「何がしたいんだ、あんたは……」 露子の手を振り払って、神崎は携帯電話を取り出す。 「吾郎さんに知らせておくか」 「それならいいわ」 そう言いつつも、まだ不機嫌そうだ。 「伊東、今日はもう帰っていいぞ」 「え?」 「特にやることもないだろうしな。俺は今日中にトゥルーエンドを見届けねばならん。鍵は俺が掛けておくから」 「あ、はい……」 返事をして、腕を組んでむすっとしている露子に声を掛ける。 「部長も一緒に帰りませんか?」 「しょうがないわねぇ」 機嫌のよさそうなにやにや笑いで、露子は鞄を手に取った。ちょろい人だな、と優歌は内心溜息をつく。 「えらく今日は部長に優しいな」 「つまり、一緒にボディペインティングをやっていく覚悟完了ってわけね?」 「違います! 服を着てるから優しいんです!」 このまま「服を着ていたら優しい」を刷り込めば、いつか全裸にならなくなるかも、とちらりと思った。 翌朝、学校傍の歩道を優歌が歩いていると、後ろから声を掛けられた。 「おはよう、優歌さん」 「あ、おはようございます、エミリ先輩」 そう言えば昨日見かけなかったな。そのことを尋ねようと思ったが、先にエミリが話題を振ってくる。 「一昨日、イモリ女が出たって知ってるかしら?」 「は、はい……」 なんなら正体まで知っている。 「さっき友達から聞いたんだけど、今度は屋上からコート怪人が降りてきたんですって」 「コート怪人……」 今回は、すぐに優歌の中で全てが繋がった。それにしても、部長といい彼女といい、何故こうも高いところに上りたがるのか。バカか煙なのだろうか。 「エミリ先輩、わたしコート怪人の正体、心当たりあります……」 「奇遇ね、わたしもよ」 にっこりと笑うエミリの顔を見て、自分は屋上で泣くことにならないようにしよう、と優歌は思った。 |